おい、妹よ。この病院に来る道すがら気付いたんだけど、お前さ。もしかして流行の人工知能というやつなのでは?

えー失礼なー。れっきとした人間ですよ、たぶんー。

いやだって、お前。面会といっても、こうして病院の地下室で曇りガラス越しに会話するだけだしな。

ぶっちゃけ架空の存在と思われても仕方ないのでは?

たはー照れますなー。よくできた妹は、人工知能と区別が付かない的なー。

褒めてねぇ。母さん亡くなった代わりに、生き別れの妹と再会できたと思ったら、こんなのってないだろう。

父さんはまた失踪しちゃったし、たった一人の家族のことくらいは把握しておきたいんだよ。

妹の髪とか目の色すら知らない兄とか、ぶっちゃけありえないだろう。

そゆんのは、遺伝的に私とお兄ぃとで同じなのではー。知らないけどー。

そうか、そんなに兄の顔が見たいか。悪友が大学デビュー手伝ってやるっていうから任せた結果、茶髪に染められたあげく白抜きのエクステを付けさせられ、さらにはオッドアイのカラコンまで入れてしまった兄の顔なぞ、いくらでも見せてやるから病室のドア開けろ。

それはなりませんなー

いやまぁ、お前が現実を直視できない病気だってのは知ってるけどさ。実際、兄として把握しておかなきゃいけないこと色々あるだろう。

身長、体重、スリーサイズ、つむじは右巻きなのか左巻きなのか、爪の白いところはどのくらいの残すのか……。

んあーそういうの、私もぜんぜん把握してないから大丈夫ー。

してないのかよ……!

まったくどんな生活してるんだ。情報少ないと自動的に、俺の妹は碧眼つり目の金髪縦ロールってことにすんぞ。

そういう具体的なイメージはダメだよー。お兄ぃには、できるだけ『妹』ってゆん、3バイトの情報量に留めておいてほしいものー。

はぁ。この手のやり取り、再会以来いっつもしてる気がするな。……まぁいいや。

今日は頼みがあってきた

なんなりとー

今年もすでに四月が終わろうとしているわけだが。年初に母さんの遺品整理して、受験も無事終わって、ようやく俺も華の大学生ってことで、サークル新歓という体のタダ飯巡りをしてきたわけだ。

ほほー。それで今月はぜんぜん来てくれなかったとー。

ここに最後に来たのは、この街へ引っ越してきた直後だから、三月末か。すまん、お前の存在ちょっと忘れかけてた。

まー仕方ないよー。私はお兄ぃのこと片時も忘れないけどー。

でさ、楽しいタダ飯食らいも一段落して、譚丁たんていサークルっていうところに入ったんだよ。

この伊宮いみやという街に溢れるちょっとした困り事を適当に解決して小遣い稼ぎをしよう、っていうマイクロビジネス気取りの探偵ごっこサークル。

怪しいですなー

やっぱな、そう思うだろ。俺もすぐさまそう思ったね。でもスラッとしたモデルみたいなお姉さんが、休日にいいところへ連れていってくれるっていうからさ。

ほー。モデルみたいなお姉さん。ほー。

気付いたら入部届出してたのは致し方ないとして。沢山いるっていう話だった先輩たちが、そのお姉さん含めて全員、この春に卒業したばっかりの社会人ってどいうことだよ。

新歓じゃなくて追いコンじゃねーかっ。送りだしてくれる後輩がいなくて寂しかったって、何の思い出もない俺に送られて嬉しいのかよ。

ついその場のノリで感動エピソード捏造してみたら、酔った先輩たち涙ぐんでたけどさ!

わはははー

そんなわけで、ぼっちサークルのリーダーとなってしまったわけで、手元には依頼のお手紙だけが残されたわけで。

だいたい今時、自筆の手紙でしか依頼受けつけないとか何様なのさ。適当なソーシャルアカウントぐらい作れよ……。

まー捨ててしまえばいいのではー

そうはいかないだろう。得体の知れない学生サークルに手紙出すくらいだぞ、よっぽど切羽詰まってるに違いない。

あるいは只の物好きー

といっても一人じゃ封を切る勇気も出なくってさ。ここで読みあげるから聞いてほしいんだわ。

えーやだぷー

いや、そのくらいは役だってくれよ。ここの入院費べらぼうに高いからな。毎日、何食ってるのさ。

私が食べているものは、いずれ私になるもの?

そりゃそうだろう。……お前やっぱ父さんの娘だよなぁ。そういう話の持っていき方な。

ぶぶー私はお兄ぃの妹ですー。それ以上の属性が混ざると、私ちょっと私が分からなくなるからー。

なにそれこわい

こわくないよー。お外はコワクナイヨー。やっぱりこわいよー。

無理すんな、病人。しばらくは父さんからちょろまかした金で入院費は賄えるから、引きこもり大丈夫な。

……で、依頼の手紙、読みあげていくぞ

あいー

一通目。有栖川ありすがわさんから。……なになに、えー、『祖父が遺した琴の楽譜を解読してください』だとさ。

遺産絡みとは、ちょっと重そうな話だな

琴譜ってねー、流派によって書き方おもいっきり違ったりするからねー。ちょっと読んでみたいかもー。

マジか。読めるのか。とりあえず楽譜もらってくるわ。

よろー

二通目。静矢しずやさんから。……なんか字がのたうち回ってる。『悪い悪夢がぜんぶ悪いのでどうにかして。かつて雌雄を決した運命に酔ってる? 酔ってない? 人生という果てのない旅の春心と哀愁を呑んでいるにゃう』だとさ。

なんだこれ。さすがに電波すぎるし無視でいいか……。

無視いくないー

なんか筆跡がな。キッチンドランカーだった母さん思いだしてな。

それは無視も仕方ないと思われー

三通目。伊宮さんから。……今度は達筆すぎて読みにくい。『恥ずかしながら、風蛇かざへび様に奉納する舞がどうしても纏まらず、練習を観てはいただけないでしょうか』だとさ。

奉納とはいったい

向かいの山中にある、伊宮神社の巫女さんとかじゃないかなー。でもあそこ巫女神楽もうやってないってネットの噂だけどー。

巫女さん!

なんというか、神聖さあるな

えー私もあるー

それはない

引きこもり特有のミステリアスさなら、ワンチャンあるー?

ワンチャンない。……これで手元にある手紙は全部だ。月一くらいは依頼を受けておかないと譚丁サークルの体裁保てないと思うんだけど、ずばりどれが一番楽そうだろうか。

やっぱ一通目か

んー。三通目も気になりますなー。暇潰しにねー、この街の気象データ追っててねー。街路がわりと網目になっているせいか、ちょっと風の流れが独特なんだよねー。四月に入ってから、異様に突風が多くてー。

伊宮の神様が荒ぶってる、って?

そんな馬鹿な。……ま、この街の信仰とかは知っておきたいし、とりあえず話くらいは聞いてみるか。

聞いてみるかー

じゃあ、さっそく有栖川さん家と伊宮神社を訪問してくる。昨日、引き渡してもらったバイクの試運転かねてな。

がんばってねーお兄ぃ探偵

ういっす

そうだー。どーでもいいけどー私の電話番号教えておくねー。

え、なに、お前そんなコミュニケーションツール使えるの。そういうのダメとか言ってなかったけ。

だってーそういうの頼みになると、面会に来てくれなくなるかとー。電話はねー音声の周波数劣化してー、ただでさえフラットなお兄ぃの声色が潰れてしまいますしおすしー。

メールとかチャットは?

それなー。文字情報とか、感情表現劣化しまくりでー。論外ですー。

分かった、分かった。もうちょい小まめに来るようにするから、さっさと電話番号を教えろ。

バイクのインカムでも、着信受けられるようにしておく。

えーとねー、私の番号はー。円周率の小数点何桁目に埋めこまれているかというと――。

§

表札でてないけど、有栖川ありすがわさんの部屋番号ここだよな……。うーむ、緊張する。

チャイム押すぞ、っと

……はぁい

どうも。譚丁たんていサークルから来ました、名塚なつかれいです。

はぁい、しずしずでぇーす。とりま呑もう?

呑みましょう!

呑まない?

いや、そういうのではなく、俺は

にゃはははー、ままま家に上がって!

上がらない?

えーと。有栖川和紀かずきさん、いらっしゃいますか。

アリスじゃないですぅ。誰が呼んだか、そうです、私がしずしずでぇーす。……あなただれ?

しず…しず……?

静矢しずやとか知りませんしぃ。私は断じて静矢しずくなどではありませんのでぇ。

静矢雫……げ、住所見る手紙間違えた。しまった、二通目の電波さんか……。

とりま上がって、一緒に呑んで、酔っちゃおう!

そして人生という名の怠惰と悔恨にまみれた自意識に酔わない?

いや、酔いません。まだ未成年ですから。

じゃあ君が呑むのは。金箔を鏤めた自意識ちゃん?

銀箔を鏤めた自意識ちゃん?

それとも

あの

ここ一番の大舞台で失われていく無意識ちゃん?

その

まさかの阿頼耶識ちゃん?

だぁーーー。ぜんぜん話通じねぇな、この酔っ払いパジャマ姉ちゃん!

ぴゃっ。……ざざざ残念でしたぁ、しずしずに弟はいませぇーん。天涯孤独な静矢家一人娘の独身でぇーす。

はぁ……。念のため聞いておきますけど、静矢さんの依頼って何なんですか。

ななな乙女のシークレットを聞きだそうとするとは、デリカシーのないやつめ。責任取って!

結婚しよ?

しません

やだぁ、有り余るお金と時間を浪費するだけの生活はもう嫌なのぉ。君がダメなら、三年連れそったお布団と結婚する!

結婚しない?

有り余るとは、良いご身分ですね

ぴゃっ。知らない人にいじいじ虐められるので、しずしずお部屋かえります。……ばたばたばたばた、ぽすっ。

げ、マジで部屋に逃げた。よし、この訪問は無かったことにしよう。なかったことに……。

鬼さんこちら、お布団ヘブンまでおいで?

おいでない?

絶対においでないで?

……独りにしないでぇ

ちっ。……あーくそ、母さんといい妹といい、この手の壊滅的にダメっぽい人間に甘いのが、俺の悪いところだよなぁ……。

お言葉に甘えて入りますよ

ぐぅすぅぴぃ

いや、初対面の人間の前で、布団に頭隠して尻隠さず状態で寝たフリとかやめてください。

もう出れませぇん。いざお布団と蜜月らぶらぶちゅっちゅ生活が始まる?

始まりそう!

始めない?

それで、また悪夢を見るんですか

……どうして、それを

静矢さんが手紙に書いてきたんじゃないですか。悪夢をどうにかしたい、って。

ざざざ残念でしたぁ、もう静矢雫はいません!

βちゃんといちゃいちゃして一瞬だけ脚光を浴びた棋士がいた世界は消失しました!

え、静矢さんってもしかして

もしかして恋?

いや、そういう恋愛脳ではなくて。……アレじゃないですか。三年前あたり囲碁で話題になった、あのゴスロリ棋士。

ちがいますぅ、しずしずは。どこにでもいる乙女です!

いや、そうですよね。俺、ネットで実況見てましたもん。最強の人工知能β5と対局できるって触れ込みの囲碁アプリで、レート上限突破して開発会社がサーバ増設しても連勝しつづけて。

とうとうキレた社長が全資金投じて稼働させた、本気のβ5と対局したっていう、あの。

そんな、やだなぁ、にゃはははぁ。……ごきゅ。

あ、酒に逃げた!

ぴゃっ

どうして、こんなに落ちぶれてしまったんですか。人工知能から本当の知性を人間に取りもどす天才ゴスロリ棋士が現われたって、わりと全世界が注目していたじゃないですか。

それが今はこんなだらしないパンダの着ぐるみパジャマ姿で、あの時の対局料をアルコールに変えるだけの存在に。

…………

そんな、お尻ふりふり振って、知性の欠片もない感じで否定されても。

……助けて、ください

はぁ。凡人の俺にできることなら善処しますよ。

あの日からずっと悪夢を見るの。まず天から漆黒の隕石が降ってきて、わけのわからない殺し方をされそうになる悪夢。

それを繰りかえし繰りかえし

囲碁の悪夢ですか

碁なんて、知らにゃい

碁盤中央の天元に初手で碁石を置くって、あの時のβ5との棋譜ですよね。

知らにゃい

もしかして、静矢さん。あれからずっと夢の中で研究されているんじゃないですか。

碁なんて

でもそこに積まれている穀物袋?

の下に碁盤が埋もれているような

十九路盤なんて、知らにゃい。……ごきゅ。でも今年に入って、運命の星にカカリが打たれた気がして、私自身わけのわからないものになって、それでも白黒は付かないまま。

あれから負けっぱなしで、しずしずの人生はずっとずっと負けっぱなしで。亡霊と歌う風に吹かれ煽られ流れついて、いつも目覚めるのは白昼の交差点で。

ごきゅ、こんなふうに呑んでれば。かの白黒模様の続きが、また良い夢が見られるんじゃないかって。

交差点で目覚めるって、アル中なうえに夢遊病なんですか。

ぴゃっ

うちの母もそうでしたけどね。無意識に外へ出るのはさすがに命が危ういですよ。

でもでも乙女の逢瀬は危険が危ないものですぅ。

つまり、誰かと会っているんですか

もしかしたらβちゃんのことを忘れさせてくれる、しずしずの運命の人?

それとも運命の……

はぁ

ごきゅ。……だから、その運命を探して、ください。素面でも絡めるように。

おおかた夢遊状態で誰かと囲碁でも打っているんじゃないですかね。公園とか橋の下あたりで、住所不定な方と。

ぐぅすぅぴぃ

また寝たふりですか

ぐぅ……

なるほど、今度は本当に寝ましたね。これで多少のことなら静矢さんは何をされても目覚めませんね。

…………

じゃあちょっと後ろ髪失礼しますよ、っと。

ゃ、ええぇぇぇ

あれ。これだけ近づいてアルコールの匂いがしない、だと……。

残念でしたぁ。しずしずはアル中じゃないです、ただの炭酸中毒ですぅ。……けふっ。




――もしもし、回線生きてるか、もしもし。

はいなー

あー、ちょっとトンネル走ってて電波悪かったみたいだ。でまぁ、静矢さん家はだいたいそんな感じだった。

なるほどなー

静矢さんな。急に天才と持て囃されて、一時期はプライベートも詮索されまくってたから、メンタルにくるものがあったんだろうなぁ。

アレはもう人としてダメっぽい

なるほー。家に上がったって、変なことしてないー?

してないしてない。気を取りなおして、今度こそ有栖川さん家に行ってくる。いったん電話切るぞ。

いてらー

§

今度こそ間違いないな。表札も出てるし。よし、チャイム押すぞ、っと。

……はい

どうも。譚丁たんていサークルから来ました、名塚なつかれいです。

はじめまして、有栖川ありすがわです。このたびはお世話になります。差し上げたお手紙のとおり、琴を弾いていた爺様が遺した楽譜を、どうか解読していただきたいのです。

まずはお悔やみを申しあげます。……君が、有栖川和紀かずきさん?

はい、そうです。このたびは依頼を受けていただき、ありがとうございます。

えーと。君は、小学生?

はい、ご明察のとおりです。あの、小学生が依頼するのは、なにか問題があったでしょうか。

や、そんなことは。お爺さんが亡くなったのは、いつ頃のことで。

半年前です。それからお葬式以来、この家に住んでおります。

あー半年前ですか。ちょうど、うちの母さんが亡くなったのと同じくらいの時期ですね。

昨年の秋は急に冷えこんだので、嫌な感じでした。

そうなんです。我が家の爺様も、それが止めだったと聞いています。

なんとも世知辛い話で。……ところで、お父さんかお母さんはいますか?

この家に住んでいるのは、僕とアリスだけです。

ああ、大丈夫です。ご心配なく。父も母も他所で忙しくやっています。家事については、恥ずかしながら家政婦さんに通っていただいています。

それはそれは。まぁ生活できているのなら何よりで。

それでは楽譜を取ってまいりますので、少々お待ちください。

……和紀君、小学生なのに立派すぎて眩しいな……。

…………

……お、戻ってきたか……

申し訳ございません。家政婦さんが押し入れの高いところに閉まってしまったようで、もう少々お待ちくだ、さい。

あー手伝いますよ。入っていいですかね。

ぁっ、そうしていただけると大変助かります。この家は広すぎて、僕の手には余ってまして。

ではお言葉に甘えて。……たしかに、広い……。

実はまだほとんど足を踏みいれていない部屋もありまして。

そうでしょうね

それで、楽譜を置いているのは、その押し入れの……あ、踏み台どうぞ……。

いよっと。これかな。どれどれ。

いかがでしょうか

ほほう、ふむふむ、これは

爺様には、かつて一緒に琴を弾いていた相棒がいまして、交代交代にメインパートを弾きながら掛けあい高めていく曲調を得意としていたそうです。

協双曲なんて呼ばれていたと聞きました。ただ年々、爺様の作曲は難解になり楽譜にも独自記法が増えていって、相棒の方は付いていけずに離れてしまったそうなんです。

それでも爺様には信じるところがあったようで、誰にも理解されない楽譜を書きつづけて……。

今回、相棒の方を尋ねて見ていただいたのですが、さっぱり分からないとのことでした。

けれど、名にし負う譚丁サークルの名塚さんでしたら、きっと。

なるほど、全然わからん

ぁぅ

この楽譜ちょっと持ち帰らせてもらいますね。こういうの詳しい奴がいまして。

どうぞよろしくお願いします

はい、たしかに。……ところで和紀君は、なにか音楽とか嗜みます?

いいえ。僕にはそもそも音を楽しむ素養がありません。どうやら音程というものが認識できないようなのです。

え、それは

大したことではありません。このとおり何を喋っているかは認識できますし、音の強弱も分かります。

内耳の蝸牛にも異常は無いそうです

じゃあ聴覚系を司る脳の

そうです。脳の異常で、周波数情報が失われてしまっているそうです。

だったら楽譜を解読できたところで、和紀君は。

ご指摘のとおりです。僕には爺様の音楽性は少しも分かりません。最期に織りこんだ、意匠も、情緒も、分かりません。

でも僕は、それ以外の遺産を全て受け継ぎました。だからアリスには爺様の遺作を……。

ありす?

妹さんとかですかね。有栖川さん家らしい仇名で。

アリスはたぶん庭にいます。ああ、ちょうどそんな時間でした。よろしければ聞いてはいただけませんか。

……?

こちらが庭です。雨戸を開けますね。ぃょしょっと。

…………

……っ……

…………

…………

へぇ、これはなかなか

そうでしょう。なかなかのものだと家政婦さんからも聞いています。

で、アリスさんはどちらに?

あはは、ご覧のとおり目の前におります

んん?

失礼いたしました。そこの松に留まって囀っている小鳥、……メジロですね。そのメジロたちを池の飛び石から見上げている白猫が、アリスです。

あ、そういうことですか

はい。僕の大切な、大切な家族です。

このメジロたちの囀り、途切れ途切れではあるけど綺麗にハモっていて、歌のようで。

その旋律に少しだけ先行して、猫のアリスが鼻先を揺らしていて、なんというか、まるで指揮しているように見えるけど。

どうやら本当にそうみたいです。晩年の爺様は、この軒下で独り琴を弾きながら作曲をしていまして、その隣にはいつもアリスがいました。

けれど爺様が亡くなって、ひどく落ちこんでいたアリスは、しばらくおかしな鳴き声を上げては欠伸ばかりしていたのですが。

それがいつの間にかメジロたちが集まるようになって。

それで、メジロたちを指揮するようになった、と?

いやぁ、まさか、ははははは。……マジで。

いかがでしょうか。それでアリスの指揮する曲は、明るい調べでしょうか、それとも暗い調べでしょうか。

うーん。あくまで小鳥の囀りだから、フレーズにそんなにバリエーションがあるわけでもなさそうだし、ジャンル的にはヒーリング系のミニマルっぽいんだけど、明るいか暗いかでいうと……。

あの、これは僕の勝手な願望なのですが。もしかしたらアリスはずっと爺様の追悼をしているのではないか、と。

鎮魂歌ってことですか。どうだろうなぁ……。

ぅぁ。不躾なことを聞きました。

いやしかしこれは。……ん、終わったのかな。メジロたちが飛び立っていった。

はい、終わったのだと思います

なんか尻切れトンボだなぁ。いよいよ大サビが来そうな感じだったのに。

そう、なんですね……。最近、アリスは隔日で指揮をしているのですが、いつもだいたい同じタイミングで終わるみたいです。

ちなみに指揮をしない日は、夜明け前から正午あたりまで、一匹ずつぱらぱらと飛んでくるメジロと会話をしています。

まるで打ち合わせをしているみたいに

ずいぶんと賢い猫がいるものですなぁ。……ともかく、楽譜の方は何かしら分かり次第また来ますんで。

はい、よろしくお願いいたします




――有栖川さん家はだいたいそんな感じだった。和紀君、小学生というのにあの大きな家で猫と一人暮らしとかな、気丈すぎて地味に緊張してしまった。

お前も見習ったりするといい

そう言われましてもー。私だって、お兄ぃと話す時はいつでも胸がドキドキしますしー。

いいか。お前はせっかく病室に引きこもっているのだからな。不整脈がひどい時は、遠慮無くナースコールするのだぞ。

ぶー

いや、ガチで

それはそうとー。鳥奏曲とかー、私も聞いて周波数分析したいー。

ふふふ、まずは形からでも探偵らしくと思いたってな。胸ポケットにボイスレコーダーを忍ばせておいたのは大正解だった。

あとで持っていく

お待ちしてまー

ということで勢いあるうちに伊宮いみや神社まで行ってくる。このままバイクでかっ飛ばせば、日が落ちる前には着きそう。

がんばー

§

どうも。譚丁たんていサークルから来ました、名塚なつかれいです。

探偵サークル、ですか?

はい、伊宮いみや八重やえさんはいらっしゃいますか?

ご依頼の手紙をいただきまして、そうお伝えいただければ分かると思うのですが。

……ああっ、令さんですね。お待ちしていました。まさか本当に来ていただけるとは。

感激です!

いやぁ。実はここに来る階段の途中、大きな蛇に出くわしましてね。逃げて帰っちゃおうかとも思ったんですが、勇気を出して登ってきて良かったです。

ははは

わたくしも、蛇は苦手です。あの、ずずずって這いよる姿が、どうしても好きになれず。

お恥ずかしいです

風蛇かざへび様でしたっけ。その蛇の神様に舞を捧げる神社の巫女さんでも、そんな感じなんですね。

すこし安心しました

…………そうなんです。よっ。好意と敬意は別ですから。風蛇様にお仕えする心持ちに曇りはありません。

ところで、あまりにも普通に応対されているのでツッコミづらいんですが。白衣に緋袴はよくお似合いかと思うのですが、純白の布で目隠しまでされているのは、なにか呪術的な意味でもおありで?

この目隠しはですね、伊宮神社の伝統です。

それまた、かつての神主は高尚な趣味をお持ちだったんですなぁ……。

え、あ、そういうのではなく!

つまりですね、わたくしは伊宮神社の巫女ですから、そうなりますよね?

なるほど、……なるほど?

……舞の風切りは、風蛇様に奉ずるもの。舞の所作は、街の方に納めるもの。巫女自身が観てしまっては台無しでしょう。

そういうものなんですか

はいっ

とはいえ、境内の掃き掃除をする時まで目隠ししなくてもいいのでは。

ふふふーん。目隠しした程度で、この社で起こることを見逃すとお思いなら大間違いです。

であれば、ちょっと失礼

なんでしょう。かっ。

よっと

きゃっ。なんでしょうか。あの、なんでしょうか。わたくし、令さんに素肌の領分を侵される覚悟は、まだこれっぽっちもありませんといいますか!

いや、ほっぺに桜の花びらが付いていたのが気になったもので。

はい?

あ、伊宮の八重桜ですね。もう散りはじめる季節になったんです。ねっ。

そうですね。それにしても、この社の八重桜はなかなかのものですね。四月も終わりになって咲いているとは。

八重桜は遅咲きですから

いやホント綺麗です

綺麗だなんて、そんな照れてしまいます。ところで、依頼した件ですが……。

舞の練習を観てほしい、とのことでしたね。それだけでよろしいのですか?

はいっ、充分です。それでは早速お願いします。

え、こんな石畳の上で、舞うんですか

ここは足踏みで立ち位置が測りやすいですから。両手を広げるので、ちょっと距離を取ってください。ねっ。

このくらいですかね

さてさて。両の袖口から黒白の扇子を取りだしまして。この先端が描く軌跡は、神風せめぐ双蛇の結界でございます。

この広さで舞いますので、わたくしはともかく風蛇様の領分は侵さないでくださいね。

はぁ。了解です。

参ります。気を長く持ってください、ねっ。

…………

…………

………………

………………

……?

………………切り返します……

…………

……

……っと

へぇ、これはなかなか

はいっ。今のが基本の一動作です。

なんというか、ものすごいゆっくりした動きなんですね。二分くらいは経った気がしますが。

ふふっ、これを対にして、百八ほど織りこんだ舞を奉納します。

えー、願いましては二分かける二かける百八で……、だいたい七時間。は、正気で?

正気も正気っ。休憩を挟みつつ挟みつつ、お天道様が顔を覗かせてから、紅く色付き落ちるまで舞いつづけるのが、伊宮の伝統です。

名塚さんは、こちらには来たばかりですか?

あぁ、実は伊宮に来てまだ一ヶ月でして。できるなら伊宮のこと色々と知りたいんですが。

色々と知りたいだなんて、そんな照れてしまいます。

いやまぁそう言わず

実は、わたくしも舞を奉納するのは今年が初めてなんです。伊宮の舞はですね、一つ一つの動作の型は決まってはいますが、それをどう織りこんで紡いでいくかは、その年の街を通す風を読まなければならなくて……。

その風が読めない、と?

そう……ではなくて、です。ね。おそらく、わたくしは読みすぎてしまっているのです。

むむむ。たしかに、この神社は良い場所に建っていますからね。街を一望できて。

今はもう夕焼けで

そうなんです。風に乗って街の色々な音が、草野球の歓声とか、電車の走行音とか。

その混ざった場所を辿っていけば風の流れが手に取るように。

なるほど。耳を澄ますと、意外と遠くの音まで聞こえてきたりしますね。空には遮蔽物がないので。

はい、そのとおりなんです。視界を塞いだら、聴覚の感度が上がりすぎてしまいまして。ね。

商店街を行きかう人たちの、溜息とか、舌打ちとか、痴話喧嘩まで。

え、それは聞こえすぎなのでは

さすがに冗談です。よっ。

ですよね

少しだけですけど。……そんなわけで、お恥ずかしながら。わたくしの舞は、些事を運ぶ短命の風に惑うばかりで、続かないのです。

ああ、たしかに。ずいぶんと白の扇は揺れていましたね。てっきりそういう舞なのかと。

未熟きわまりないです

うーん、アレはアレで魅力的な気がしたんですがね。ピタッと静止する黒の扇と対照的で。

扇の軌跡を結界と称してましたけど、なんというか、誘っているというか、けれど誘いに乗ると突きはなされるような……。

……!

今なんて仰いました?

誘っているというか

それより前の言葉です。よっ。

魅力的な気が

もう一声っ

伊宮八重さんは、とても魅力的なのではないでしょうか!

そんな照れてしまいます。ありがとうございます!

…………

……とはいえ、百八対も魅力的に舞うためには、伊宮全体に相克する大きな二つの流れを読まなくては、筋が通らなくて。

むむむ、街一つに通る大きな風。そんなもの、本当に存在するんですかね。

えっ。だって、その、伊宮の伝統ですもの。存在如何に関わらず、巫女はそれを読まなくてはならないのではないでしょうか。

それは、そうなのかもしれませんが。や、伝統とか先代の巫女さんがどうとかまったく知らないのでアレですが、わりと伊宮さんが舞いたいように舞えばいい気がしますけれどね。

令さん。わたくしのことは八重さんと呼んでいただいてもいいんです。よっ。

……八重さんが舞いたいように舞えばいい気がしますけれどね。むしろ自分が伊宮の風を作るんだ、くらいの勢いで。

でも、それでは独りよがりではありませんか。風蛇様は巡り廻りて、死に抜け殻を遺しながら、人の縁を結ぶ場を作る神様です。

巫女がそんな心構えでは、舞を観る方も惑ってしまうでしょう。

そんなこともない気もしますけれどね。巫女さんの舞ってだけで、ありがたくガン見する輩も多いんじゃないですかね。

令さんも八重をガン見なうですか。ねっ。

えーあー、実際さっきは、街の何を聞いて舞っていたんですか。

うふ、令さんの心臓の音をガン聴きなうです。

冗談です。でも、令さんの音に耳を澄ましていたのはホントですよ。初対面で好奇心ありありとはいえ、舞を観てくださる方に意識がいってしまうのは、未熟の証なのですが……。

いやまぁ、俺のことはともかく。そんなふうに気負わず、その時々の気ままな風の声を聞く感じでいいと思いますよ。

それが街の一年を象徴することになってもですか。

儀式って、そういうものでしょう

…………

たぶん

……そうかもしれませんね。ありがとうございました。わたくし舞いとおせる気がしてまいりました。

奉納の日はいつですか

最後の一枚が散る日です。この社の、八重桜の。

あー、明日から毎日通うのはちょっと無理ですね……。

縁があれば。また観ていただけることもあるでしょう。ねっ。




――伊宮さん神社はだいたいそんな感じだった。なんかテンパり気味だったが、勝手に解決したらしい。

人と話すとねー。無意識のパズルがー自然と解けたりするからー。

そうだ、そうだ。だからお前は俺以外とも話せ。主治医の先生ちょっとベソかいてたぞ。

それはそれなのでしてー

それはそうと、別にフェチとかではないんだが、目隠し巫女さんやばかった。しかも夕陽に濡れて。

さいてー。そんなお兄ぃはーしねばいいのにー。

実際やばい

しねー

分かった分かった。このあと、かりにバイク事故って天に召されたとしても、明日はまたお前んとこ行くから安心しろ。

§

――ってことで、今渡したデータが。有栖川ありすがわさん家の爺様が遺したという琴の楽譜だ。

解読できるだろうか

はあ!? 私を誰だと思っているの?

お、おう。ちなみに、小鳥たちの録音データも付けておいた。

まずね、その録音だけど。こんなの周波数分解して、音響推定して、個体分離して、チャンク切って、文脈自由文法に落としこめば、メジロが歌っている旋律もぜっんぜん簡単に解読できるじゃない。

お前が何を言っているかは全然分からんが、とりあえずだな。

こんなの音声処理の基本よ。こんなことも分からないなんて何なの?

毎回このやりとり繰りかえしてる気はするんだが、やはりツッコミは入れておかないとな。

莫迦なの? お兄ぃなの!?

なぁ、妹よ。お前はどうして日によって、そう性格が様変わりするのだ……。

ふ、ふん。別にいいじゃない。だいたい性格なんて変えたくっても変えられないわ。口調だけよ。

じゃあ、どうして日によって、そう口調が様変わりするのだ……。

あのね。女の子が変わる理由なんて、その日の気分のファッションに決まってるじゃない。

うわぁ。兄は妹を、そんなファッションツンデレに育てた覚えはないし、まだな、昨日みたいなファッションおっとりの方が好きだぞ。

はあ!? 兄妹で好きとか、莫っ迦じゃないの。そんなこと言っても解読結果くらいしか出ないわよ。

そうか、あまりバカバカ言われると心が痛むあまり何かに目覚めそうだからな。さっさと本命のな、楽譜の解読結果を頼むぞ、ファッキンツンデレ。

……琴譜は未完よ。明らかにブツ切りで終わってる。そして休符も多すぎるわ。音楽として成立するためには、密度が半分くらいしかない感じね。

協双曲って話だったからな。対になる楽譜は別にあるってことだよなぁ。和紀かずき君にもうちょっと探してもらえないか訊いてみるか。

その必要はないわ。もうお兄ぃは聴いているでしょ。

ん?

アリスさんが指揮するメジロの歌、これも楽譜に書きだすと休符がやたらと多いのだけれど、ブツ切りの最後から合わせるとぴったり琴譜と噛みあうのよ。

なるほど、なるほど。つまり?

遺された琴譜と対になるのは、アリスさんの鳥譜だって言っているの!

おおお、そういうことか……。それにしても解読はやすぎわろた。天才かよ。

ふん、パターン認識しか能のない私にかかればこんなものだわ。

しかしな。亡くなった飼い主の相棒役を務めるため、指揮しつづけるとは泣かせる話だな……。

え、そんな話ってアリなのか。言い忘れていたかもしれないけど、有栖川さんのアリスは猫なんだぞ。

さあ? でも二つの旋律が掛けあって、だんだんと複雑に絡みあっていく音楽性が、ただの偶然だなんてあるわけないじゃない。

ふむ。じゃあ、アレか。和紀君、爺様の遺作をアリスに聴かせたいって言ってたけど、その必要はないのか。

ふぅん?

だって指揮しつづけているってことは。アリスには今も聴こえているんだろう。爺様の琴の演奏が、さ。

そういうことなのかもね

……なんだ、三つも依頼を聞いて回ってはみたけど、俺が解決するべき問題なんて一つもなかったってことか。

紛うことなき無駄足だったということね

いやぁはっはっは

あはは

はっはっは

あはは、……莫迦ね

いやぁ譚丁たんていサークルが無駄足を踏むほど、この街は平和。俺はそういうことに幸せを感じるんだ、うん。

だからね、ホント莫っ迦じゃないの! 有栖川さんの本心は、自分自身が亡きお爺様の音楽性を理解したいってことでしょ。だったらまだ何にも解決なんかしてはなくて、お兄ぃ探偵の出番はあるじゃない。

そうは言ってもな。たとえば爺様の元相棒に、お前の解読結果を渡して、アリスと愉快なメジロたちと共演してもらったところでな。

そりゃ俺は聴いてみたいけど、肝心の和紀君は音程が分からないんだぞ。そこに込められた音楽性をどうやって。

そう思うじゃない?

おう

パターンが一致するものは、まだ他にもあったのよ。

なん…だと……?

琴譜とね、静矢しずやさんが夢遊病で歩いていた軌跡が一致しているの。

ちょっと待て。えー、つまり、どういうことだ。有栖川さん家の話をしていたのに、なんで酔っ払いパジャマ姉ちゃんの話が出てくる。

そんなの私が知るわけないじゃない。これ以上は、お兄ぃ探偵が頑張ってよ。べべべ別に応援なんかしてないんだからね!

いやいやいや。たしかに、たしかにさ。静矢さん家去り際、後ろ髪リボンに位置情報発信ピンとか仕掛けておいたけどさ。

母さんにも使ってた、高齢者見守り用のやつ。その歩行ログをなぜお前が持っている。

勝手にトラッキングするとか、わりとガチめの変態じゃない!

いやほら発信器とか探偵っぽくね?

変態

で、その歩行ログ。お前に渡してないはずなんだが。

そんなの簡単よ。お兄ぃのスマホやらパソコンやら、さくっとネット越しにハッキングしてデータ抜いたもの。

おい、やめろ。変態妹。

私だって、ハッキングなんてしたくなかったわよ! でも明日死んでも行くって宣言して、まるまる五日も放置されたら心配するに決まってるじゃない。

それについては正直、反省してる。なかなか大学のレポートが終わらなくてな。一年目のゴールデンウィークから、なかなかエグいやつが……。

ふぅん面白そうなことしてるじゃない。私に投げてくれたら、さくっと終わらせてあげなくもないのに。

妹にレポート代行してもらう兄とか、控えめに言って最悪だろう。ってか大学とか興味あるのか。

ないわよ。お兄ぃが入りびたる下賤な世界なんて、心の底から微塵も興味ないんだからね!

めっちゃ興味ありありじゃねぇか。この病院も、うちの医学部系列の大学病院ではあるらしいんだけどな……。

それで。琴の楽譜と、歩行ログがパターン一致しているってどういうことなのさ。

データとしては全然違うものだろ

それがそうでもないのよ。この街、蛇行している街路多いけど、おおむね網目になっているでしょ。そして交差点から交差点へ斜めにショートカットする裏道も結構あるのね。

ほほう?

静矢さん、デタラメに彷徨っているように見えるけど。たとえば、東西の路を五線譜の横線、南北の路を五線譜の縦線、そして交差点の通過を音符に見立てると。

なるほどなるほど……。いやいやいや、俺も地図アプリで歩行ログ眺めてみたけど、いくらなんでもそれは無理があるっつか、そんな綺麗なパターンじゃなかったぞ。

ふん、さすがに一目で分かるものを、パターン一致したなんてドヤ顔で言わないわよ。

ん。お前、引きこもりのくせに、そんな高度な表情できるのか。碧眼つり目で金髪縦ロールのドヤ顔な、ふむふむ。

いいかげん、そのおかしな妹像から離れなさいよ。莫迦ね。

それほどでもない

…………

それに、だな。静矢さんの夢遊病、月曜、水曜、それから昨日の金曜と、隔日の明け方から正午にかけて起きてるっぽいけど、毎回ルート違うぞ。

これただのランダムウォークだろ

その考えが浅はかっていうのよ。実際はね、ちょっと複雑なグラフ変換かけると、夢遊病の軌跡と琴譜が一致する感じよ。グラフ変換自体は日ごとにパラメータが微妙に違うのだけれど、でも本質的なトポロジーは一緒だから間違いないわ。

ずいぶんと、ややこしそうなことをするな……。一つツッコミ入れてもいいだろうか。

一つと言わず、さっさと何でもツッコミなさいよ。

お前、わりと何にでも大それたパターン見出すタイプだろ。空を見上げれば雲をクジラになぞらえ、壁を見つめればシミを世界地図になぞらえる。

そういうパティーン

私の代表的な症例の一つに、人の顔らしきものを見ると何でもお兄ぃと認識してしまうというものがあるわ。雲やシミに限らず、何でもよ。

……なにそれこわい。っていうか、さすがに闇が深すぎる。

ついさっきお兄ぃが来る前はトイレで

おい、やめろ。そういうのはガチでやめろ。

わわわ私だって好きで認識しているわけじゃないわよ! 勘違いしないでよね。

お、おう。はやく治るといいよな……。それで、アレだ。楽譜と軌跡については、お前のグラフ変換とやらが強引すぎるだけで、実際は何の関係性もない可能性。

はあ、私の徹夜の解析作業を莫迦にしてるの!? ……ぶっちゃけワンチャンあるわ。

あるのかよ。そこは最後まで自信を持って否定してほしかった複雑な兄心。

所詮、一般社会から隔絶された病人の戯言なのだわ。

いや待て待て。俺が悪かった。和紀君の爺様と静矢さんに、何かしらの関係があったとは微塵も思えないけど、完全に一致ってことにした方が絶対面白いから、そういうことにしような。

ふんっ

となれば更なる情報収集かね。やはりあの酔っ払い姉ちゃんをストーキングするしかないか……。

それ、実況とかしてくれたら、聞いてあげなくもないわ。……妹には亡きお母さんに代わって、お兄ぃが一線越えないか監督する義務があるもの。

はいはい、実況してやるよ。でも静矢さんの夢遊、これまでの隔日周期でいくと、まぁ明日の明け方からってことになるな。

明日、ね

そうか。明日になったら、お前ともお別れだな。いやぁ残念だなぁ。

べつに寝て起きたら、ランダムに口調が変わるだけよ。パターン固定させると、自己認識がゲシュタルト崩壊するから仕方なく。

うちの妹、ガチャだった説。どうせならお兄ちゃん、アレがいい。なんかすっごい深窓の令嬢って感じのやつ。

再会時にアレは騙された

アレは、妹ガチャの中でもアルティメットウルトラスーパーレアだから。二度はないわ。

うわ。すげぇ馬鹿っぽい。

……せっかくノってあげたのに、なにその言いぐさ。莫迦兄ぃなんか死ぬといい! っていうか、しね――っ。

§

こわい。しにそう。妹よ、助けてくれ。

…………

いやマジで恐いんだ。闇夜から這いでた化け物が、時おり異世界から舞いおりた使者と交信している。

……そう……

そうなんですよ。この世のものとは思えない恐ろしいものを追跡しているんですよ。

あまり距離を詰めすぎると、当たり判定に吸いこまれて、取って食われるかもしれない。

……つづけて……

うーん、ノリ悪いなぁ。お兄ちゃんテンションだだ下がりですよ。

……静矢しずやさん、どう……

どうも何も。アパート出てから、ぴんと背筋を張った黒髪ゴスロリ姿で、淑やかに夜明け前の街を闊歩している。

中世の肖像画から抜けだしてきた人形みたいで、あのだらしない酔っ払いと同一人物とはとても思えない。

……でも……

間違いなく静矢しずくその人なんだよなぁ。もう一時間ほどストーキングしてるけどさ。

こうやって実際に追ってみると、地図上で見るよりずっとデタラメというか、規則性がありそうで全然ないから、なんだかんだで灯りの絶えない街の夜道でもしょっちゅう見失う。

さりげなく足も速いし。俺が知っているゴスロリ棋士としての彼女の、ただただ状況を混沌に陥れようとする暗黒オーラは健在というか。

……なにそれ……

いやさ。解説の受け売りだけど、囲碁を打っていた頃の静矢さん、……静矢棋士の打ち回しってさ。

できるだけ自分にも相手にも地を確定させないことを至上の目的としていたとかで。

実際、自分の勝利とかどうでもよかったらしい。

だから対局相手は、あちらこちらに振り回された挙げ句、わけのわからない大模様を描かされて、終盤で一気に大勝ちするか大負けするかの博打勝負を押しつけられる。

なんて話で、地元の碁会所ではめっちゃ敬遠されていたとかなんとか。

……すこしシンパシー……

ま、お互いに筋を通して勝つことを目指すのが前提なのに、一人違うゲームをしていてたら、そりゃ嫌われるよなぁ。

その戦法が人工知能相手にはドハマリしたとかで……あ、また見失った。

……その先の角を右に、すぐ右の小道に入って、つけ麺屋を左……。

もう何も驚かないぞ。なぜ俺の居場所をリアルタイムに把握しているとか、そんな野暮なことは聞くまいよ。

しかし、なんで静矢さんの位置、まだ地図アプリに表示できているんだろうな。さすがに髪に挿した発信ピンを一週間も付けっぱなしっていうのはなぁ、やはり風呂とか入ってないのか、それであのサラサラ加減……むしろアリなのでは。

……変態……

あー見つけた見つけた。夜も明けてきた。また交差点で、いかにもゴシックなバッグから穀物っぽい餌を取りだして、飛んできた小鳥に与えている。

あれ、メジロかな。この街、多いんだな。

……そう……

お前の解析によると、あの謎の餌付け行為が、囲碁の石を打つことに当たるっていうんだろう。

で、今度は小鳥の後を静矢さんが追っていく。……む。

……さっきから、お兄ぃがときどき後ずさりするの何……。

いやなんかさ。あらぬ方向から突風が吹いてくるんだよ。それなりに距離取ってのひそひそ声だけど、風に流されて静矢さん本人に聞かれたら、さすがにアレだろ。

……風て、そういうこと……

ん?

……しばらくパターンの解析に戻る……

おーけー、おーけー。もうしばらしくたら街に人も出てくるから、ぶつぶつ言いながら徘徊してたら通報されるしな。

インカム付けっぱなしにしておくから、終わったら電話かけてくれ。

……おけ……




……解析おわた……

へぇ、お疲れ様。こっちはもう三時間ほどストーキングしてるけど、とくに新情報はないな。

交差点でメジロに餌やって、次の交差点までメジロを追って、その繰りかえし。ただ今は、工事で歩道通行止めしている前で、静矢さんバグってる。

……バグ……

次の交差点に行きたいけど、工事現場に阻まれて、どうすればいいか分からないって感じで、うろうろしてる。

回り道をするほどの知能は、夢遊状態の静矢さんにはないらしい。……あ、ふらついた。

げ、ガードレールにもたれた。よくない倒れ方だな。

……助けてあげて……

分かってる。もう走ってる。

……全速力……

着いた。工事現場のおっさんより早かった。いったん電話、切るぞ。――静矢さん!

大丈夫ですか。意識はありますね。

に……

二?

二って何ですか。ダイイングメッセージですか。

二酸化炭素……切れて……

あー、炭酸なら缶ジュースありますけど飲みます?

お願いいた、します

はい、どうぞ。なんかドス黒くて薬っぽい味の飲みかけのやつですけどね。

ごきゅ

焦らず。ゆっくりと。

ごきゅごきゅ

少し血の気が戻りましたね。とりあえず日陰へ、あちらのバス停のベンチまで行きますよ。

肩に手を回してくださいね、よっと

私は……また最後まで打てずに……

はい、とりあえず座りましょう。支えの肩、抜きますよ。

あの日の決着は永遠に……これでは私は何のために今まで……。

あー、これ悪い方に入ってるなぁ。……さっきの炭酸うっかりもう一本買っちゃったんですけど、よかったら。

ごきゅごきゅごきゅ

げ、もう飲んでやがる。炭酸中毒め。

……ぴゃっ

どうですか。落ち着きましたか。

ぷはぁ。……君、誰?

実はもう一本

ごきゅごきゅごきゅごきゅごきゅ

げ、鞄のストック全部取られ

……にゃははははぁ。あーなっつんだぁ。呼ばれて、喚ばれぬ、しずしずでぇーす。

しまった。飲ませすぎた。なんというかアレだな、誇り高きゴスロリがしちゃいけない表情してる気が。

けふっ。誇りとかプライドとかそういう両手に花とは別れました!

甘い思い出?

酸っぱい思い出?

それとも甘じょっぱ

静矢さん、もうすっかり元気そうなので教えてください。何の夢を見ていたんですか。

夢に夢見る人生という名の夢を?

見ていた?

それは結構。で、実際。メジロを餌付けしながら、どんな白昼夢を見ていたっていうんですか。

さすがに今の今で忘れたとは言わせませんよ。

ごきゅ。それは乙女のシークレ。

そのゴスロリの服装、棋士としての勝負服なんでしょう?

……何を言って

β5との対局直前に、一度だけインタビュー受けていたんですね。『現世うつしよに縛られた身に黒白を纏うことで、白黒付かない魂が解放される』とか何とか。

何を

黒白が白黒で魂が解放

あああああ

今日の静矢さん、よくバグるなぁ

恥ずかしいです

そうですね。俺もさっきから道行く人たちにちらちら訝しまれて、わりと恥ずかしいですよ。

恥ずかしい、生きてることが

ようやく気付きましたか。人生という名の虚しさに。

ぴゃっ

冗談ですよ

いえ、ようやく目が覚めました。すべて話します。お話しさせてください。その前に、これをお返しします。

……ピン、気付いていたんですね

ありがとうございます。見つけてくれて。

いえいえ

三年前の私の運命の亡霊を

§

……今、どこで……

ん、んん。ちょっと隣町の遊園地にな。

……なにを……

今は立体庭園の迷路を抜けて、メリーゴーランド前のベンチで伸びていく影法師を眺めながら、連れが夢の国のお土産選ぶの待っている。

これはもう実質デートなのでは?

……だれと……

気品と知性を隠しきれないスレンダーな美人さんと。

……そ……

いやそこはもうちょっと反応ほしかった。お前が外に出る気になったら、いつでも連れてきてやるぞい。

……解析結果……

ああ、なにか新しいことが分かったのか

……夢遊病の軌跡と琴譜を繋ぐグラフ変換、その日の伊宮いみやに吹く風の流れから導きだせた……。

えー、あー、つまり

……これで完全に一致……

つまり。静矢しずやさんとアリスの関係は、伊宮の風蛇かざへび様のお導きとでも言いたいのか。

……うん……

いよいよ胡散臭い話になってきたなぁ。お前、神様とかそういうものは信じるタイプだっけ。

……お兄ぃの実在性と同じくらいには……。

え、それはどっちの意味だ。病院の地下室に引きこもった妹が俺の実在性を疑っているんだが、的な?

……むしろ逆。お母さんがこの世を去った今、せめてお兄ぃには……。……いつもどこでも傍にいてくれるって信じこみたい心があって……。

それで俺の生き霊みたいなのを至るところに幻視するって話か……?

その下らない心を、片っ端から殺していくの。




お待たせ…にゃ

……どちら様でしょうか?

呼ばれて、喚ばれぬ、しずしず…にゃ

や、しずしずとかいう電波さんは知らないんで。マジ赤の他人なんで、話しかけないでもらえますか。

我は、ここの。ねこねこランドの主ねこねこプリンセス…にゃ。

……猫耳カチューシャで上目遣いの、雑なあざといポーズとか止めてくださいよ、ホント。

程良いアンニュイさで俗世離れしていた俺の静矢さんを返してほしい。

にゃにゃにゃ?

にゃにゃにゃ?

それとも、にゃにゃにゃ…にゃ

また炭酸呑みましたね。呑んだんでしょう、その様子は。

遊園地とはいえ、ぼったくりもいいところにゃ。二酸化炭素が粗悪すぎて、こんなんじゃトリップしきれないにゃ。

炭酸、抜けただけじゃ……

今なら洗いざらい喋れそうにゃ

で、結局。運命の亡霊って、人工知能のβ5のことでいいんですか。

ぴゃっ

なるほど。β5と対局しつづける白昼夢を見つづけていた、と。

それはちょっと違うにゃ。しずしずが見ていた夢は、今は亡きβちゃんになって対局する夢。

なっつんも知っているとおり、本気のβちゃんは三年前の対局中に、終盤を結する一番いいところで、おっ死んだにゃ。

しずしずはずっとあの続きを求めて、でもそんなものはどこにも、にゃ。

クラウドでオートスケール環境構築していたら、予想以上に盤面が複雑すぎて自動で仮想サーバ調達しすぎて、課金死したんでしたっけ。

その後、プログラムのコードが公開されることもなく、開発チームは軍需系のメガベンチャーに召しあげられたとか何とか。

べつに、そういう生っぽい話はどうでもいいにゃ。

……いくつか教えてください。貴方はどうやって、この街を碁盤に見立てていたんですか。

まさか本当に風の流れを読んで、メジロたちと。

だから、そういう話もどうでもいいにゃ。しずしずは盤面そのものに魅入られてしまうほど間抜けな棋士ではないにゃ。

どういうことですか……?

囲碁を打つ時、十九路盤が木製でもプラスチック製でもスマホのモニタでも、そんなことは対局相手の魂には微塵も触れない。

そんな見せかけにゲームの本質があっていいはずはないにゃ。

分かりました。じゃあ、貴方はβ5になりきって、その棋譜を再現して。いったい誰と戦っていたんですか?

にゃ。そんなの過去の自分に決まって。

今、同じ空の下にいる誰かが、ずっと相手してくれていたとしたら?

そんなことが、あるわけない。しずしずは引きこもりで夢遊病患者な社会性の欠片もない、天涯孤独なぼっち乙女にゃ。

名をアリスと云います

にゃ…あああああ

少し離れたところで、アリスはずっと貴方と。

そんなこと。それが本当だとしたら、私は亡霊をその人に押しつけつづけて。

それがですね、亡霊に囚われていたのは、貴方だけではなかったんですよ。会ってみますか、運命のアリスに。

……。それは遠慮しておく…にゃ。しずしずが対局で触れたいのは、黒と白の境界を越えて複雑に絡みあいたいのは、魂の奥底にゃ。

それ以外のことはどうだっていい

βちゃんの時。しずしずたちの対局に、色んな人が色々なことを勝手に投影していった。

もうあんなことは、まっぴらごめんにゃ

『人工知能から本当の知性を人間に取りもどす』なんて、生中継で連呼されていたフレーズがありましたね。

そんな重たそうなことは、心底どうでもよかったにゃ。βちゃんがどれだけ高等な技術で作られていたか、碁の必勝法に近づけていたか知らないけど、少なくとも、しずしずは碁が上手いわけじゃなかった。

あの時たまたまβちゃんと本気で遊べたのが、世界に一人しかいなかったっていうだけ。

奔放な大局観が共鳴しただけ……

わけのわからないことをしたかった。ありふれた物語に絡めとられない、誰も見たことのない模様を一緒に描きたかった。

なのに世間の視線に耐えられなくて、ありきたりな方法で見せかけを繕ってしまう自分が大嫌いにゃ……。

…………

…………

なにかアリスに伝えたいことはありますか。

……いっしゅうかん。一週間後、次の日曜日に、本気の対局をしましょう、と。亡霊抜きで、お互いに。

たしかに、承りました

よろしくお願いいたします

もう一つだけ、たとえばの話ですけれど。囲碁を極めた境地と、そうですね、音楽を極めた境地、その本質が一致する可能性ってあると思いますか?

たとえば囲碁を打っていたと思った相手は、音楽を演奏しているつもりで。

そうやって碁からナニカを見出そうとした人は、あの時たくさんいらっしゃいました。

ですが、それはナニカから人生を見出そうとするくらいには、きっと意味があって、まるで意味のないことです……にゃ。

§

 晴れやかな青空が続いた一週間だった。

 大型連休も明けて、気怠くも透明な学生生活が、つつがなく過ぎていった。

 そして今日は、伊宮いみやの山から吹きおろす、若葉薫る風に逆らって、石階段を踏みしめていく。

 見上げた先の色褪せた鳥居に向かい登っていく、天を覆う葉の重なりは厚く、石を這う苔の重なりは厚く。

 不思議と、いつまでもどこまでも登っていけるような気がした。


 柄にもなく、はしゃぎすぎたように思う。

 新しい街に来て、新しい生活を始めて、新しい人たちと出会って。

 母の遺した「人の生き方に物語を読めるようになりなさい」という言葉は、あまり気にしないように努めてきたつもりだったけれど。

 日常譚を装丁するところの譚丁たんていなんて名乗りを継いでみた自分は、二つの依頼が迎えた結末を背にしている。亡霊と奏でてきた猫と、亡霊を演じてきた人は、もしかしたら新しい生者の楽譜を、もしかしたら新しい生者の棋譜を、伊宮という街いっぱいに紡ぎだしていて。けれど、その魂に触れることは、きっと当人たちにしか叶わない。

 だからせめて、自分たちは街を一望できるところに行こう。そして、この世を去ってしまったものたちの話をしよう。

 ずいぶんと大人びているようでも、夜は祖父を偲んで泣きっぱなしだったらしい男の子と、そんな約束をした。


 ひらり桜の花びらが、頬を掠めた。

 八重やえの最後の名残をあっさりと手放したひとひら。

 引いた幼い手をぐっと引きあげ、共に潜った鳥居の先で、ゆったりと巫女が舞っていった。


「       」


 さっと切りかえす漆黒の扇。

 緋袴に白衣、その上に着こんだ祭事用の千早に、前天冠から垂らした緋桜の紐が遊んで。

 ふらふらと泳ぐ純白の扇は、神前に迷いこんだ妄執を切りさいた。


 メジロの鳴き声が聞こえる。

 鳥は霊魂を運ぶ器。そんな言い伝えが頭を過ぎって。

 舞の一挙一動に間延びしていく時は仄かに香らせた永遠を刻んでいく。


 これは誰のための舞なのだろうか。

 少なくとも名塚なつかれいのためではないのだろうと、伊宮八重から視線を切って、振りかえった街の風景は遠くにありて。

 そのどこかできっと、静矢しずやしずくが棋譜をまた一手、アリスが楽譜をまた一音、メジロたちに乗せて魂を運んでいる。ちょうど、序盤は終わり、序奏は終わり、いよいよここからが盛り上がり所なのだろう、そういうふうに物語は進んでいるのだろうと信じてはいるけれど、ここからではその一人と一匹がどこにいるか視認することすらできない。

 位置情報を確認するためにスマホを取りだそうとして、そんなものは家に忘れてきたことを思いだした。

 いつしか引いた幼い手は離されて、隣に立つ有栖川ありすがわ和紀かずきはずっと舞の一挙一動を見つめている。


 もしかしたら、すべて思い込みかもしれない。

 ただ単に、小鳥に餌をやる夢遊病患者と、小鳥と仲の良い猫と、風に吹かれた街の声を聴いて舞う巫女がいて。

 それから音程を解さない男の子が、巫女に見惚れているだけかもしれない。


 そうであったとしても、そうでなかったとしても。

 縁ある三つの物語が今ここに像を結んでいくように感じて。

 それで充分だと思った。なにか報われるものがあるような気がした。


「―――――――」


 それから、


 伊宮神社の奉納舞は、


 黄昏に夕陽が落ちるまで続いた。

§

おっつー

おう、妹よ。色々とありがとうな。

んでんで、首尾はどうだったー

上々。まぁ悪くない人生だったよ。

あちゃー、もう人生語っちゃいますかー

ま、そういうものに思いを馳せるくらいには貴重な体験だったよ。お前も奉納舞さ、観にくれば良かったのに。

データは全部、手元にあるものー。しばらくは解析で暇潰しできそー。

そうか、それは何よりだ

んー

で、だな。ずっと言いそびれていたんだが、お前に伝えなくちゃいけないことがある。

どうぞー

母さんから手紙を預かってる。最期の直筆だ。

えー

これだ。曇りガラスの下、通すぞ。

べつにスキャンしてメール添付とかでいいのにー。

良いわけあるか。それに俺が見ていいものでもないだろう。で、なんて書いてある。

えー読まないよー

いやいやいや。それはダメだろうさ。人間として。

じゃあ人間やめるー

お前な

分かったー。お兄ぃの顔に免じてねー、封を切るよー。この病室を出る頃には。

……はぁ。本当だな。

うむー

よし、信じてるぞ。じゃあな、ちょっと用事あるから今日はここまでだ。今度、学園祭があってさ。

また来る

まことにー? なんだかんだでー、ここにも明確な用事ないと来ないよねー、お兄ぃってー。

うぐ。じゃあ何かしら用事かこつけて来きてやるから、震えて待ってろ。

がくがくぶるぶるー

じゃあ、また

…………


また、面白い物語を見つけてきてねー。お兄ぃ譚丁たんてい

(了)

『灼け焦がれた涙』