名塚。どうよ、我がプラネタリウムサークルの上映は。
これは、ちょっと凄いな。なんだろう、湧きあがってきた感慨をうまく表現できない。
かーらーのー、あえて言葉にすると?
……宇宙ヤバい。っていうか、宇宙ヤバいな!
とくに、あの星の一生的なやつ。どす黒い雲に、衝撃波みたいなのがばーんと当たって、ガスを吸いこんだ球がどんどん灼けながら膨らんでいって、やがて太陽みたいになって流れ星どんどん捕まえて、最後はどっかーんと!
名塚なァ、恒星進化論の講義受けてたろ。あのお爺ちゃん先生がいくら仏だからって、さすがにそれは単位落とすぜ。
すまん、興奮のあまり語彙がお亡くなりになってた。それにしても宇宙ヤバい。俺たちの存在なんて塵か芥か幻かって感じで、もう人生とかどうでもいい。
あと昨日ガチャ爆死したのもどうでもいい。
ドン引きっすなァ
ともかく、これは学園祭の話題かっさらえるんじゃないかな。映像だけでも間違いなく一級品。
しかもプラネタリム専用のエアドームに映すんじゃなくて、こうやって教室とか廊下とかの壁やら天井に投影、しかもそれを全校舎内でやるっていうんだろう。
本当にそんなことができるなら、そりゃなぁ。
な!
だっろ。こんなの観ちまったら、思わずネットでシェアしたくなるだろ。
たしかに拡散せざるを得ない
来場者投票も、まさかの一位ぶっち来ちゃうかァ。
ぶっちゃけ、ありえる
うぇーい
言っておくが、お前のことは一ミリも褒めてないからな、奈良原。
サークル入って二ヶ月半の一回生なんて、ろくな貢献してないだろう。普通は。
なんだその、自分は貢献してるみたいな言い分っつーか。
ま、ぼっちサークル長だからなぁ……
騙されて探偵ごっこねェ。名塚、うちのサークルに入る気はないか。この手の上映、見たい放題だぜ。
その誘い、そっくりそのまま返す。まぁ譚丁って言っても、受けた依頼はまだ三つ、というか実質一件だけだけどさ。
なかなか面白いものが垣間見られたよ
ならば良し。なんにせよ非日常に浸れる手段があるってのは素晴しいことだと思うぜ。
灰になっていく現実を見なくてすむからな。
灰?
なんだ、奈良原。六月にもなって、まだ五月病でも引きずってるのか。
……ちょい口が滑った。忘れてくれ。
ふぅん。……話戻すけどさ、さっきの上映。映像どうやって作ってるんだ?
教室は教室で、廊下は廊下で、ちゃんとその形にあった映像が継ぎ目なく展開されてるように見えたけど、さすがに素人目にだって簡単に作れるものじゃないのは分かる。
編集ソフトも、あんなフォーマット対応してないだろ。
あと嘘の付き方が絶妙っていうか、思いだしてみると衛星の軌跡とか色々おかしかった気がするんだけど、異様に臨場感あったというか。
おお、よくぞ聞いてくれた。それはほら、ひとえに先輩方の集大成っつーか、とくにブレインなんちゃらインターフェースを専攻してる院生が凄いっての何っての。
まさに変態的な技術だわー
ん?
単なるコンピューターグラフィックスじゃないってことか?
そうそう。聞いて驚け、お前が観たものは。人が夢見た心象風景から自動生成された映像なのだ。
なにそれすごい。もはやノーベル賞ものなのでは。
だっろ。その装置を作った院生、繭棲先輩って言うんだけどさ、やってた実験が倫理規定に触れたとかで、論文ことごとくリジェクトくらったらしくってなァ。
今年度はもう博士号取るの無理だから、腹いせの暇潰しに開発したら、ちょい本気出しすぎたとかいう話。
大学って、色んな人がいるんだなぁ……
いや本当になァ。そうだ、せっかくだから名塚。繭棲先輩に直接、感想伝えてあげてくれよ。
あの人、きっと子供みたいに喜ぶぜ
そんな天才にお目にかかれるなら是非。どんな技術使ってるのか聞いてみたいなぁ。
たぶん理解できないだろうけど
じゃ。先輩、まだ本館七階の放送室いると思うから、よろしく。
…………
…………
おい、お前が紹介してくれるんじゃないのか。奈良原。
それがなァ。なんか来るべき学園祭に向けて放火予告したバカがいたらしくってな、俺たち運営委員に招集かかった。
放火とはまた物騒な
いちおう警察には届けてあるらしいんだが、ま、よくある学生の軽い悪戯程度にしか扱われず。
実際そうなんだろうけど、念のため火の元総ざらい警戒しておこうかっつー話で。
じゃあアレか。前夜祭のキャンプファイアーとか、中止になるかもなのか。
それはないだろ。アレ一応、我らが久地波大学の伝統イベントらしく。
中止にでもしようものなら、大学の自治がどうとかキレだす老人がいるからな。それに予告犯だって、さすがにキャンプファイアーに乗じて放火とか芸のないことはしないだろ。
いや、ある程度の対策は打つことになるんだろうけどさァ。
しかし相手は、わざわざ予告してくるぐらいには、おかしな執着があるヤツだぞ。
飛んで火にいる何とやらってか、下見くらいは来る可能性ありそうだけどな。
一理ある。そうだな、じゃあ見回りは頼んだぞ、探偵。
む。じゃあ二人で火の粉でも浴びながら回るかー。
うおィ、貴様。もう前夜祭を一緒に過ごしちゃう恋人とか作ったのかよ。おめでとう、幸せな家庭を築いて沢山の孫に囲まれながら、延命装置に繋がれてゆっくりと天に召されるといい。
そうじゃねぇよ……。お前といれば男二人、いかな犯人も手を出しにくいだろっていう。
たしかに。俺なんか、こんなツラしてっからなァ。……だが、あいにくキャンプファイアーは大嫌いでな。
あんな制御されきった半端な火力を眺めて、何が楽しいかさっぱり分からん。
あ、すまない。配慮が欠けてた……。
ッたく、そこでノリ落とすなよな。放火の話を振ったのはこっちだっつーの。
この顔の火傷跡な。通ってた幼稚園が灼けて以来、フリでも気にせず話してくれる奴、わりと貴重なんだよ。
だから頼むぜ、友よ
最初は、けっこう内心ビビってたけどな。どっちかっていうと、その目つきに。実際そっちの方が問題じゃね。
放っておけ。俺の目つきが悪いのも知ってる。こうなったのはさ、……燻りつづける世界を直視してらんないからさァ。
奈良原、お前はアレだな。五月病っていうより、中二病だな。
ようやく気付いたか……。それはそうと、名塚はキャンプファイアーがんばれよなァ。
当たり前のように伝統は形骸化して、見渡すかぎりのカップル大平原って噂だぜ。
独りでふらふらと迷いこむと、いちゃラブ空気にあてられっぞ。
こわい。なにそれこわい。リア充は爆発するといい。
お、爆弾テロ予告かな。迷探偵。
……ないわー。探偵が犯人な推理小説とかないわー。
ともかく、誰も当てがないなら繭棲先輩でも誘ってくれよ。あの人、そういうの疎そうだからなァ。
おじゃまします、繭棲先輩はいらっしゃいますか。
どちら様ですか?
どうも、一回生の名塚令です。さきほどのテスト上映に感銘を受けまして、お話を聞かせていただければと伺った次第です。
……ああっ、令さんですね。繭棲さんは、アロマ焚いてくるとのことで隣の校舎へ行きました。
それは失礼しました。貴方もプラネタリウムサークルの方ですか。
いえ。そんな大それた者ではないです。よっ。わたくしは、ただの夢見る被験者です。
被験者……?
はい、ぼーっとして。心の深い層にある朧気を、精緻に描いていくだけの簡単なお仕事なのです。ねっ。
もしかして、先程の宇宙の映像は貴方が?
……その両眼を覆うヘッドマウントディスプレイ、脳波計測が一体化したやつですよね。
うふ、お粗末様でした。いかがでした、わたくしの宇宙は。
や、本当に幻想的で。空間も時間のスケールも、あれだけ壮大なものが一人の心から描きだされたものだなんて、にわかには信じられなくて。
……っていうか、その声と喋り方、八重さんですよね。
はい。久地波八重です。令さん、お久しぶりですね?
久地波?
あれ、伊宮八重さんではなく……?
あ、もしかして、ご結婚とかされました?
おめでとうございます
えっ、結婚と仰いましたか。さすがにそんな過去は、わたくしにはないのではないでしょうか。
年齢的にも、たぶん
あ、それは失礼しました。……伊宮神社の方は最近どうですか。あの奉納舞の後、何度かお参りしたんですが、タイミング悪かったみたいで八重さんにはお目にかかれず。
今日も巫女装束ではありませんし
…………伊宮が祀る神は、天から落ちてきたと云います。星の海をさまよい、この地球に惹かれた確率を思えば、ふたたびお会いできた縁に感謝するばかりです。
え。あの舞を奉納された神様は、風を司る蛇でしたよね。
……宇宙も、太陽風といったプラズマが吹き、コロナといった蛇がうねる世界ですから。ね。
ほら、伊宮の伝承は見方によって、その姿形を変えることに特色があってですね。
八重さん……。そうですね、そういうことにしましょう、そんな気もしてきました。
ところで、実際どういう感じなんですか。心に、輝かしい星々を鏤めた宇宙を抱えるというのは。
俺、自分の中にそういう世界観とかなくて、わりと他人のそういうのに呑まれやすくて、だから譚丁なんてことを。
そうですね、有り体に申しあげますと。日々是ゆにぃばぁす、って感じです。
ゆにぃばぁす
まぁ、嗜みとしまして。誰しも銀河の一つや二つは、心に秘めているものでしょう。ねっ。
それを少しずつ育てていけばいいだけのお話です。
銀河
えーと朝起きたら、不意に胸のあたりがビッグバンみたいな日もありますよね?
ビッグバン
あの、令さん。そんなオウム返しされると恥ずかしいです。わたくしだけ喋らされるのはズルいので、令さんの心の声もお聞きしたいです。
……それでは八重さんに一つお誘いがあるのですが。
はいっ、なんなりと
来週の前夜祭、キャンプファイアーやるらしいんですけれど。一緒に踊りませんか?
踊るとは、呪術的な意味でしょう。かっ。
や、たしかにキャンプファイアーって元々は火を祀る儀式的なものだったらしいですが!
そういうのではなくて
では、どのような理由で、わたくしと?
なんというか、ぼっちで参加するにはあまりにも世知辛い空気らしいので、付きあっていただけると助かる的な。
それならば、わたくしでなくても良いですよね……?
あー。……心に銀河を抱えるほど魅力的な八重さんと踊って、その隠された瞳に映りこんだ宇宙を覗きこんでみたい、です。
そんな照れてしまいます。ありがとうございます。
できれば巫女装束でお願いしたく……!
でも、ごめんなさい
……!?
わたくしは、どうも大切なことほど覚えていられないらしいのです。一週間は、たぶん保たないです。
え
でも、大丈夫です。きっと頭が覚えていなくても、体が覚えていることもあるでしょうから。ねっ。
八重さん
はい
それはホントに大丈夫なんですか。生きていく上で。
そうです。ね。たいがいの時はよしなに流れていくから、わたくしはこうして令さんとお話しているのではないでしょうか。
……八重さん。本番上映の時に来れば、また会えますか。
これで夢見は用済み。もうリテイクなしだそうです。
本番は録画再生ってことですか……。あの、俺は、譚丁というのをやっていて、なにか力になれ……。
いや、力になれるようになったら、またお会いできたらと。
そう気負わずとも。きっとまた巡る縁もあるでしょう。ねっ。
――そんなわけで八重さんにフラれてしまった兄に一言。
もう、お兄ぃったら。ざまあ♡
最悪だ
これに懲りたら、大学でキャッキャウフフを夢見たりせず、勉学に励むんだぞ♡
心得た。どこぞのブラック研究室に潜りこんで、お前の病室にこうやって訪れる寸暇も惜しんで、教授のゴーストライターと化す。
やめて。死んじゃう♡
……まぁ、それはそれとして。どうして八重さんは、適当に名字名乗るのかなぁ。
伊宮神社で伊宮八重、久地波大学で久地波八重、って明らかに嘘だよなぁ。
それは作話の一種じゃないかな♡
作話?
ああ、本人の中では筋が通ってて、嘘のつもりはないってやつか……。
と言っても、記憶障害の病識はあるみたいだから、どこまで意図的かは分からないけどね♡
奉納舞の時はもう、依頼してくれたことは忘れていたのかなぁ。
そうかもね♡
なんとも切ない話だな……。致し方ない、キャンプファイアーには妹同伴で臨みたい構え。
うーん、それは無理♡
ぐぬぬ。結局、あれから当然のように誰も誘えぬまま。ひとり徒手空拳でキャンプファイアーに来てしまった。
恨むぞ奈良原
うっかり八重さん迷いこんでたりしないかなぁ。本当にカップルばっかりで、リア充こわ……いって!
……ぅ……えぐ……
え、あ、すみません。こんなところに人がうずくまっているとは。……大丈夫ですか。
……ぐずっ……おかまいなく……
いやいやいや、さすがにボロ泣きしてる方を無視するわけには。救護テントくらいなら連れていけますよ。
……じきに……ひっ……ゃむので……このまま……。
痛むのは体ですか、それとも心ですかね
……どちらでも……ぁ……あらしが……すぎさるまで……。
何言ってるか分からないんで、とりあえず医者の卵っぽいの連れてきますね。……うおっ。
……すいぶんが……おしながされて……っ……。
今日は見上げるかぎり雲一つない星空ですけれどね。とりあえず掴んだ足首を離してほし……あ、脱水症状ですかね。
はい、これ飲みますか
……ありが……とう……
この炭酸ジュース、知り合いに中毒者がいて、つい見かけると買っちゃうんですよ。
……なにこれ、まっず……ぇっ……薬っぽくってまっず……。
あー、やっぱそうですよね。ときどきチャレンジしてはみるんですが、やはり俺の味覚は正しかった。
……ひぐっ……ホントに不味すぎて……すごく哀しい……。
あの、なんというか、ごめん
……ぅわぁーん……
ごめんなさい
で、ですね。わたしほら、ちょっとおかしくて。なんか炎を見ようとすると、ぼっろぼろに泣いちゃう癖があるんですよ。
それはまた難儀な
でも華の大学生になって、ま、料理とかは女子寮に電磁調理器あるんで大丈夫ですけど、さすがに炎がNGとか現代人としてどうなのって感じで、これはいっそショック療法だーって、いきおいキャンプファイアーなんてものに挑戦してみたものの、ご覧の有様で。
はぁ、ろくでもないですよね
あー、同級生でしたか。どうも。生物学部の、名塚令です。
ん、名塚……。……生物学部って、切ったり貼ったりとか、そういうのです?
いやぁ、実習はこれからって感じですが、専門の志望は認知神経系でして。
認知ですか、わー、うちのおばあちゃん認知症で、あっ、そういうのとは違いますか?
わたしは人文学部の井内ほおずき、です
それで、どうですか。そろそろ落ち着きましたか、井内さん。
それはもう。名塚さんにはお礼をしないといけませんよね。これでもわたし、高校の時は泣き癖隠しとおしたんですけどねー、いきなり不覚を取っちゃいました。
てへへ
いやもう、こうやって、じゅうぶん寿司ごちそうになってますし。……炙りサーモンもう一皿いいですか。
はい、どうぞどうぞ。ご覧のとおり、お寿司といっても、ぐるぐる回るやつですけどねー。
このお店、わりとコスパよくありません?
たしかに、このサーモンやめられない感。もう一皿。
んで、これはー、わたしが泣きだしちゃって、どうしようもなくなってたところを助けてくれたお返し。
だけど、わたしの泣き癖を墓場まで持っていってもらう口止め料が、まだ残っている次第ですです。
べつに口外するつもりは毛頭ありませんが、では折角なので一つお誘いが。
はいな
譚丁サークルに入りませんか
……?
それは何をするサークルです?
宗教的なのはちょっと……
いや、宗教とかではなくて、ですね。その名のとおり、依頼を受けて適当に解決していこうっていう。
探偵って、不倫調査とか?
いや、不倫とかでもなくて、ですね。譚丁とは、そこはかとなく探偵っぽいけど、いうて探偵ではないというアレで。
……つまり?
…………なんでしょうね?
…哲……学………?
わかりました。分かりました。ひとまずサークル勧誘は無しの方向で。明日の学園祭、露店巡りに付きあってもらえませんか。
付きあう。ほほー、そう来ましたか。そう来ちゃいましたかー。なるほどですね、女子寮で出す手作りフリマの当番が午前にありますから、そのあとはフリーですです。
……あ、すみませーん、炙りトロサーモン追加おねがいしまーす。
おおっ、マジですか。キター、炙りトロサーモンきたー。
今の注文は、わたしのですよ?
抑えきれない炎への憧憬を、お寿司のネタで紛らわせていくスタイルです。
いやぁ、俺も友達と回転寿司ちょいちょい来るんですけど、そいつ炙り系ないところ縛りなんで。
これはたしかにコスパいいなぁと
よね、ですよね。わたしってほら炎に、ちょっとありえないくらい憧れてるじゃないですか。
でも見れなくて、絵とかアニメですら号泣しちゃうことがあって、仕方ないから文章で補充しようとしても、はー、恋焦がれるみたいな炎に喩えた表現はあっても、みんな炎なんて知っていること前提で、わざわざ炎を分かりやすくナニカに喩えてはくれなくて、仕方ないから炙りネタを美味しくいただくしかなくて、ですね。
何でしょう。何だと思います?
見るだけで泣きださずにはいられない、わたしの炎への想いは、どう名付ければいいのでしょうか。
それは。きっと恋でいいのでは。
――妹よ。あらかさまに炎に執着をもった女性に接触した。なんかすごく怪しいので、しっかり明日の学園祭でも見張っておこうと思う。
明日の炎上確率は51%。控えめに言って、学園祭への参加は推奨されません。
マジか。その予報が本当なら、今すぐ学園祭は中止させるべきだな。……しかし、とくに根拠があるわけでもなく、お前も本当は参加したいのにその勇気がないから、拗ねてるだけと見た。
学園祭への参加は推奨されません
うーん。またコミュニケーションの取りにくい口調だなぁ。今日も妹ガチャは爆死か。
嵐になるでしょう
ん……?
深夜にかけて嵐になるでしょう
いやぁ、面白かったー。学生MCバトル最高すぎる。
でしょう、観てよかったでしょう。うちの大学祭で、野生のラッパーがあんなにも集まるとは、わー、もう感激です。
とくに最後の、いかにもストリートでオラついてそうなスキンヘッドがさ。『Hey、Yo、ぶっ放す言霊の機関銃!』っていうのを受けて、完全場違いの舞妓さんが。
『ぐんなりドス効かせはった内輪の機関銃、はんなりうちには効かんどすえ♪』って。
なにあの京言葉ディス。最高かよ。
綺麗にビート乗せて、分かりやすいパンチライン決めてましたよね。だから、明日の決勝もぜったい観にきましょうね、ね!
もちろん!
このバイブスは伝説になる予感しかしない。
さぁて、いよいよお楽しみの時間ですよー。……さぁ、行くのです!
もしもし、井内サン。なんで俺に、そんなにこやかに財布を押しつけるんですかね。
行くのですです!
あー、露店で調理してるガスバーナーの炎とか、うっかり視界に入るとアレなので、俺が回ってくる流れですかね。
いいでしょう、何が食べたいですか
わぁお、察し力えらく高くないですか、わたし無茶振りしたの自覚ありましたよ?
妹に鍛えられているんで……
じゃあですねぇ。手始めに、焼きマシュマロと、焼きチョコバナナと、厚焼きクレープと、それから、それから――。
もぐもぐ
なんというか、心なしか売り子さんの視線が、どこも厳しかったような。やはり井内さんの財布、女子力高すぎなのでは。
でしょうね。今年トレンドカラーの、もぐ、チェリーピンクを全面に押しだしたデザインですもん、もきゅ、ちょっとベタすぎてわたしですら恥ずかしいものを男の子が持ったら、もっきゅ、そりゃあ違和感ありまくりというものです。
ひどい。鬼の所業なのでは。
しかもそれ一点物で、作ったのはクレープ屋の売り娘ですです。テニサーの。あ、焼きリンゴ、おいしっ。
はい?
女子寮のフリマで売れ残ってたの、わたしが買い取ったんですよ、だから今頃いい感じに、わたしたちの関係を勘違いしてくれてる気がしますね?
おい、待て。いや、ちょっと待って。
これでわたしも女子寮ヒエラルキーの中層でいられるというものです。そろそろ恋人の有無探りあって、格付けが始まる頃ですからねー。
うわぁ。えげつない話だ……。
もぐもぐ。この焼きマシュマロは焦げすぎですね、ちょうどシフト交代したばかりで、当たり外れが激しい時間帯かもでした、はぁ。
……ん?
これデートってことでいいの?
あはっ、なかなか愉快なこと仰いますね、まっさかぁ。
ですよねー
こんな変な泣き癖あるわたしが、実際デートとかありえないじゃないですかー、ふとした拍子に地雷踏ませちゃいますもん。
たしかに、目の前でタバコにでも火付けられたら、バレるってオチか。……いや、それは普通にカミングアウトしておけばいいのでは。
違うんですよぉ、そういう問題じゃないんですよー、ごきゅ、これは感情の問題です。
感情?
ですです。条件反射であってもですね。やっぱり泣いちゃうと切なくて。切なくなっちゃって。
あー、無理矢理にでも笑顔作ると、楽しくなってくる的な話ですか。
そもそも、わたし自分が泣いてるってこと理解するの、けっこう時間かかっちゃったんですよね。
泣いている時のわたしにはですね、嵐が来ているように見えているんです。いよいよありえなくありません?
え
炎を見たいのに、わたしはこんなにも炎に憧れているのに、それを押し流してしまうほどの嵐が来てしまうから切なくて、はぐ、うっきうきのデート中にそんな気持ちになったら相手にも失礼じゃないですか、はぐはぐ。
嵐って、つまり視界が涙でぐちゃぐちゃになるってこと……?
そういう比喩表現ではなくてですね、肌を打ちつける雨粒の強さも、さーっと思考をかき消していく雨音も、全部マジもんの嵐にしか感じられないってことです、台風の時に田んぼの様子見に行ってみたんですけど、感覚いっしょでしたもん。
うーん、うちの妹みたいな認知系の症状ってことか。それは難儀だなぁ……。ん、ごめん、ちょい電話出る。
およ、どちら様ですか?
同じクラスの炙りネタ嫌いのやつ
天敵だー
あー、もしもし
よォ、探偵。放火予告犯の手掛かりは掴めたか。
……あ
あ、ってなァ。その様子だと、お前さん、思いっきり普通に学園祭楽しんでたろ。
すまん、奈良原。一応、当たりは付けてたんだけど……。
残念だが、そいつは大外れだ。悪ィな、こっちで予告犯を確保したぜ。
……!?
男一人、女二人の大学生だ。見回りに柔道部ヘルプ頼んでおいて正解だったぜ。こいつら業者に紛れて、ゴミ集積所にガソリン撒こうとしてやがった。
まだそこにいるのか
通報はした。まもなく警察が来る。関節技がっちり極めてるから反撃されることもない。
だから名塚、お前は来なくていいぞ。あまり騒ぎにしたくない。
そ、そうか。くれぐれも気をつけてくれ……。
ところで、一つ頼みがある。さっき隣から聞こえた声、女の子でも連れてんのか。
お、おう
やるじゃねェか。四十分後に、我がサークルの上映が始まる。予告無しのゲリラ上映だ。
来場者の反応を直で眺めたかったが、事情聴取とかで拘束されそうなんでな。あとでお前からじっくり聞かせてもらうわ。
その女の子の反応を
うぇ、俺も上映じっくり観たいんだけど
どこでもいいから校舎内に連れこんどけよ。頼んだぜ、友よ。
久地波大学が名所の一つ。
実験棟と本館の七階に架けられた渡り廊下。
昨日知り合ったばかりの同級生と、わいわい歩いている最中に、プラネタリウムサークルの上映は始まった。
すっと落ちていく照明。
ゆっくりと自動で閉じられていくカーテン。
広がっていく来場者のざわめきを、ピアノの一音一音が静寂に引き戻していく。
息を呑む。
天井や壁を包みこんだ漆黒に、きらびやかな星々が穿たれていく。
その一つ一つに手を伸ばそうとして、漆黒に溶けこんだ自分の体を見失う。
凍える真空に鏤められた光の粒。
数十年、数百年、数千年、長い道のりを駆けぬけて、また過ぎ去っていく旅人の光。
遠く、近く、幻想的な情景を自在に映しだす神の視点は、震えるピアノの旋律に乗せてめくるめく忘我を奏でていく。
その一粒、隕石降りそそぐ生まれたての星に、たまらず緋が灯っていく。
やがてゆらめく緋は、理不尽に銀河を塗りつぶしていき、隣の同級生が泣きはじめた。
「……ひぅ……あらしが……ぐすっ……きた……」
突如、ピアノ曲が音割れして、
回復した照明も緋を消すことはなく、
そこには灼けはじめた世界が広がっていった。
「井内さん! 両目を閉じて、口をハンカチで覆って、早く」
火事だ。
そう口走りかけて、あやうく呑んだ言葉は、少し遠くのおっさんが叫んだ。
あっけなく上映の余韻はかき消され、すぐさま悲鳴と咳と怒号が、閉鎖空間に響いていく。
放火に巻きこまれた。
そんな事件が本当に起こるはずないと心のどこかで思っていた。
奈良原が捕まえたという予告犯たちは囮だったということか。無事だろうか。
満員御礼の人混みを包囲する火の回りは恐ろしく速く。
充満する黒い煙の中、自分の身と泣きじゃくる彼女をどうにかするのが精一杯と知れた。
視線を低く、壁伝いに前へと進んでいく。轟音。重低音の振動。おそらく背後で渡り廊下が崩落した。
まだ何人も残っていたのではないか。そんな思考を殺す。
自分が逝ったら、誰があの妹の話相手をするのか。そんな思考を殺す。
渡り廊下を戻っていれば、実験棟の緊急シャワーが使えたのに。そんな思考を殺す。
意外と息は保つ。
視界と思考は泥底を這っている。
冷や汗まみれの手としゃくり泣く声はまだ傍にある。
息切れていく誰かを押しのけて。
必死にガラスを叩く誰かを押しのけて。
死にものぐるいで娘を捜す誰かを押しのけて。
もう進むことも退くこともできない。
炎に囲まれて、生存の可能性を包囲されて、左には鍵付きの部屋。
祈るようにドアノブを回して、さいわい開いた清浄な空間へ、気を失いかけた彼女と一緒に雪崩れこむ。
そこに犯人がいた。この地獄絵図を描きだした、不敵に嗤う真犯人が待ちかまえていた。
やァ。よくぞ来てくれた。誰だか知らないが、感想が聞きたい。
その声。……奈良原か。
なんだ、つまらん。お前が釣れるとはなァ。名塚。
こんなところで何を呑気にヘッドマウントディスプレイ付けて遊んでるんだ!
廊下はもう火の海だぞ!
そうか。お前にも見えたのか。
窓から飛び降りるぞ。なにかクッションみたいなものは!
まァ、落ち着け。この放送室は七階だ。
状況分かってんのか、このまま座して死を待つ気か!
みんな、そんなふうに切羽詰まっていたか。ちゃんと怯えていたか。
当たり前だろ!
俺も、お前も、こんな大掛かりなテロを防げなかったんだぞ!
良かったじゃねェか。あとは今から目の前にいる犯人をぶん殴って捕まえれば大手柄だ、名探偵。
……おい、何だそれ。ざけんな。
安心しろ。ご覧のとおり俺は、命まで奪うつもりはさらさらないからさァ。
……まさか
気付くの遅ェつーの。お前には上映のタネ明かしてたろ。
嘘……だろ。視界だけじゃなかった。あの焦げた、音は、煙は、匂いは、、、。
音は、そこの効果音素材から適当に流した。煙は、先輩が仕掛けた発煙装置を使った。
危ないから止めた方がいいって忠告したんだけどなァ。匂いは、まぁ錯覚だろう。
じゃあ何だ。お前は、八重さんの宇宙を灼いた炎も、やっぱり誰かの心象風景を上映しただけのものだって、そう言いたいのか……。
どうだ。脳裏に灼きついたか?
……っ
…………
そんなものは今すぐ外せ!
お前か、お前が火種か。なぜだ、なぜこの本館を燃やす夢を見た。こんな悪夢を上映して何の得が!
夢じゃねェ。夢じゃないんだ。いかな俺だって、ついさっき思いたったばっかりで、本館だけならまだしも、全校舎を灼きつくす鮮明な夢を見られるわけないだろ。
これが俺のありふれた、入学から三ヶ月かけて灼きつくした日常なんだよ。お前にもシェアできて良かった。
ほらヘッドマウントディスプレイ外したぞ。
ついさっきって、お前
あー、さっき捕まえたっていう放火未遂犯な。電話の後、警察が来るまで話を聞いてやったら、三人とも俺と同じ幼稚園で火災に遭った奴らだったんだわ。
……お前もグルだったのか
いや、そうじゃねェ。俺たちはあの火災後、治療を受けてから一度も顔を合わせていない。
そうだ、治療だ。俺もすっかり忘れていたが、あいつらが思いださせてくれた。かつて炎上する幼稚園で、保育士が灼けていく姿を目の当たりにしてしまい、強い心的外傷が懸念された俺たちは、この久地波大学で治療を受けることになった。
炎に関連した刺激の記憶を抹消するために。
何の…話だ……
お前が志望している、認知神経科学の話だよ。脳の中には、炎を感じとるためのニューロンがある。
人類に文明をもたらしたニューロンだ。そこが火災のショックによって、たとえば死や恐怖を司るニューロンと強く繋がってしまうと、火に関する刺激を受けただけでパニックの発作を起こしてしまい、まともな生活が送れなくなる。
だから、そこの繋がりを灼き切らなくてはならない。
そういう理論が、当時は脚光を浴びていたらしい。世間的な注目も大きく、功を焦った特任教授が治療に当たった。
だが結局のところ、ほとんどの子供には効果が見られず。そして数人の子供は成功したが、大きな副作用を伴った。
特任教授……副作用……
たしかに炎を見ても心乱されることはなくなった。ありふれた日常の風景として、無意識に流せるようになった。
代わりに、視覚、聴覚、嗅覚、そのありふれた刺激の多くが炎に結びついてしまった。
俺たちは、ずっと燃えさかる世界の中で生きてきたんだ。
…………
理屈では違うと分かっていても、どうしようもない。そこかしこに熱と光の揺らぎを感じて、やがて煤まみれになっていき、いずれ全てが灰になっていく。
ただただ意味もなく灰になっていく
……その復讐のために、こんなことを
俺の中で折り合いは付けてきたつもりだった。これでもわりかし、うまくやってきたんだ。
家が灰になっても、学校が灰になっても、街の店という店が灰になっても。べつに会う人という人の顔が、灼けて、焦げて、燻っていっても慣れっこだ。
いよいよ灰だらけになったら、そこを去って新しい場所に引っ越せばいい。さいわい親父は転勤族だったからな。
ただ、あいつらは耐えられなかった。自分の見ている世界が、現実とは違うことを許せず、放火を企てたらしい。
頭悪ィ話だぜ
じゃあ、なんでお前はそれを止めておいて……。
せっかく同じ体験させた人たちを、殺しちゃ勿体ないだろ。煙で意識を失わせるのもうまくない。
深く脳裏に灼きつけるためには、死が差し迫った現実と錯誤するほどの虚構を、できるだけ長く彷徨わせなくてはならない。
そして、それを為せるだけの状況が、ちょうど俺の前だけにあることに気付いた。
だったら上映するしかないだろ。常識的に考えて。
魔が差した。って言いたいのか。
人生そんなもんだろ
…………。いいか、奈良原。これだけの騒ぎを起こしたんだ。火災は起こらなかったとしても、怪我人はでたはずだ。
だろうな
下手すれば、パニックで出口に人が殺到して圧死事故だって。
そうだなァ
一緒に警察へ行こう。そこまでは友達でいてやる。
嫌だね
いいから俺に目を合わせろ
断る
足りないのか。少なくとも数千人の来場者には、お前の日常を十数分ほど共有できたって言うんだろ。
それでも満足できないのか
まだ種火を撒いただけだぜ。俺たちの火の粉が拡散されて、いずれ誰かの日常が灰になったその先に辿りつくまで見届ける義務が、俺にはある。
そうだ、独りでは無理なんだよ。俺は、完全に灰になった場所では生きていけない。
もちろん世界は広いから、これからも同じ場所に長く留まらず焼き畑しつづければ、寿命は全うできるだろう。
だが、もしかしたら、他の誰かが別の生き方を見つけてくれるかもしれない。
だからって。お前のそういう悪夢を、他人に押しつけるのか……。
……あァ、そうかよ。それがお前の本音か、名塚ァ!
俺が生きている情景を、俺の目の前で灼けていくお前も嗤うのか。今なお炎上しつづけるこの放送室も。
お前はこれを悪夢と嗤うのか。……ぐはっ。
え。井内さん……!
このッ女。横っ面殴りやがって、邪魔するか!
ようやく俺の情景を言葉にして、まだ灰になりきってない友に伝えられたんだぞ、あァ!
そんな目で俺を――
……ぐずっ……ふざけないでよ……炎にまみれた情景が……ひっ……そんなに特別だって言うなら……わたしにも……!!!
……これで正しかったんでしょうか
あれだけの混乱を引きおこしやがったんだ、ぼこぼこに殴りつけたところで正当防衛だろ……。
そうではなくて、ですね。わたし、たしかに奈良原さんのこと、ぶん殴っちゃいましたけど、なんか火事場の馬鹿力みたいなので鳩尾に肘鉄入れちゃいましたけど、こんなふうにすぐ警察に引き渡して、それで幕を引いて本当に良かったのかなって、まだうまく割りきれなくって、朝はちょっと怪しい雲模様だったけど、今まで一番うまくハニートースト焼けたのに、こんな大事件に巻きこまれるなんて思ってもいなくて、ですね。
あいつの言うことが本当なら……、そもそもの元凶はうちの大学病院で、あいつも被害者ではあるんだろう。
だから正直、分からない。正しさなんて分かるものか……。少なくとも友達をなくした。
あいつはさ、入学最初の体力測定でペア作る時にさ、あぶれた俺に名字が近いからって声をかけてくれた、いい奴なんだ。
いい奴だったんだ。だけどさ。あいつには、俺のツラもずっと灼けて、灰になっていくように見えていたんだなァ……。
友達なら、わたしがいるではないですか。ともに屋台を食べ歩いた仲ではないですか。
……あ、炙りトロサーモンどうですか
ありがとう
どういたしまして
俺は無力だ。こうして寿司を食べることしかできない……。
世の大学生なんてそんなものです。ですから炙り鯖もどうぞどうぞ。
ちくしょう。炙り鯖うめぇ。
ちょっと話は変わりますけど……もぐもぐ……わたしも思いだしたことがあって。
炙ってない鯖もうめぇ
思いだしたことがあって、ですね
もはや邪道のカリフォルニア巻きすらうまい。
もぐ
…………
あの、お寿司はいいですね。ほら、泣きじゃくった塩分も、酢飯で補給みたいな。
……俺も、ちゃんと泣けたら良かったのかなぁ。母さんの通夜でも、わけわかんなくなって寿司をひたすら食いまくっててさ。
それはきっと天国のお母様も……、いえ、そうですね、わたしも小さい頃に参列した通夜では、そんな感じだったと思いますよ。
感情が追いつかなくて、安い欲望に負けてしまうんですよねー。……そろそろ今日は、お開きにします?
そうですね。送りましょうか。
いえ、遠慮しておきます。女子寮住まいなので、さすがにそれは。
あ。……ごめん、俺なんか思ったより参ってるみたいで、一人になると、どこからか火の粉が飛んできそうな気がして……。
あなたは大丈夫ですよ。他人の情景は、結局のところ、その人だけのものなんだって、そういう寂しさと向きあわなくちゃいけないんだって、わたしは泣きじゃくって視界を灼かれなかったから言えるかもしれないですけど、きっとそういうことなんですよね?
だから最後は独りで、自分の情景に帰らなくっちゃ。
もしもし、俺だ
ぁ、ぉにぃ、どうじてずっと連絡じてぐれなかったのぉ。何があったのかはだいたい把握してるけど、お兄ぃのバイタルサインはずっと見張ってるけど、万が一のこと想像しちゃったら私から電話なんてできなくて、ぜんぜん心配なんかぜんぜんしてなかったんだからね!
すまん……。まぁとにかく俺はこのとおり無事だよ。体も心も灼かれてない。
あとな、そろそろ譚丁とか止めようと思う。先月の奉納舞に、この放火事件。
もう充分にサークルへの義理は果たした
だったら今日はもう、ぜっっったい大学には近寄らないことね。とくにゴミ集積所あたりには。
……なにか知っているのか
ふん、警察が校舎中の上映設備回収に躍起になってる隙をついて、あからさまに不審な人物が侵入してるとか、そんなことあるわけないんだから。
おいおいおい。予告犯の残党か……。
そ、そうに違いないわ。お天道様に誓って、お兄ぃとは何の関わりもない赤の他人よ。
ん……。まさか、、、。
予告犯が撒きそびれたガソリン使ってゴミ山に放火したら、さすがに警察も気付くでしょうし、すぐに泣きべそかいてるところを取り押さえられるわ。だから、お兄ぃは今日あったこと全部忘れて、ぐっすり眠ってればそれでいいのよ。
泣きべそ……火の粉そっちに移ったのかよ、畜生!
その可能性があるなら行くしかないだろ。常識的に考えて。
お兄ぃ、ダメ……
なんで気付かなかった、やっぱり一人にするべきじゃなかった、畜生。
ねぇ。どうして、バイク走らせようとしているの。もう、譚丁は止めるんでしょ。放火を止めたかったら、警察に通報すればいい。今なら信じてくれるわよ。だから、お兄ぃが命の危険を冒して、こんな深夜に止めに行く理由なんてどこにもないじゃない!
なぜって俺はさ、これでもお前の兄だからさ。
……!?
お前ほどひどくはないけどさ、俺に友達なんてそうそうできやしないんだよ!
それを、せっかく軽口まで叩けるようになった大学の友達を二人も、今日一日で失うわけにはいかないんだよ、クソ。畜生。
今度は、今度こそは説得を
莫迦じゃないの。ホントに莫っ迦じゃないの。こっの向こう見ず! 意外とイケボな細マッチョ! 妹の忠告ガン無視する友達思い!
ああ、悪かったな。だから、さっさと侵入経路を教えてくれ――。
どうして追ってきたんですか。わたし、独りで帰れるって、そう言いましたよね?
井内さん。落ち着いて、その手に持っている物をゆっくりと、ゆっくりとこちらに渡してほしい。
ああ、このガスバーナーです?
嫌ですよ。こうやって見られちゃったら、もう後には引けないじゃないですか。
そんなことはない。まだ引き返せる、まだ無かったことにできる。
あなたは、わたしたちと違って、炎に囚われた情景の住人ではありませんよね。そして、わたしは他人を巻きこむつもりはありませんから。
こうやってゴミ山にバラまいたガソリンの始末も、ぜんぶ独りで済ませますから。
いや、そういうわけにはいかない。友達だからな。
友達って、あは、まだ出会って昨日の今日なのに、そんな本気にして、おっかし、わたしの何が分かるって言うんですか。
井内さんが炎に憧れているのは知ってる。だけど、これじゃあただの……自殺だ。
わたし、炎とか視たことないから、その恐さとかよく分かんないですけど、憧れに灼かれて死んじゃうなら、それはもう仕方のない人生だって、そう思いません?
なんで今日なんだ……!
ずっと囚われてきて、それでもうまく折り合い付けて普通に生活しようと努力してきたんだろう。
奈良原も、井内さんも。それなのにどうして今日になって。
魔が、差したんですよ
そんな理由で
でも、その魔はずっと、わたしの中に巣くっていて、なんとか飼いならしてきたけど、もう抑えきれなくて。
だから、思いだしたんです。オリエンテーションで大学病院を見学して、妙なデジャブに襲われたの、あれはホントのことで、わたしも火事のトラウマを治療されたんだって、そんなことを朧気ながら思いだしたんです。
え……。分かった、じゃあまずはその話をしてほしい。ゆっくりと。
名塚さん。奈良原さんに伝えそこねたことがありますよね?
……っ
だってズルいじゃないですか。わたしたちばっかり自分の過去を洗いざらい喋って、友達っていうんなら、お互いに隠し事はなしにしないと、嘘ですよね。
わたしが叶えようとしている情景に土足で上がり込んでくるなら、尚更ですです。
…………その治療にあたった特任教授、俺の父さんかもしれない。昔、ひどい副作用を引きおこしたことがある、って。
名塚先生。ですよね、あなたの名字を聞いた時、やっぱりデジャブがあって、それで興味持ったんですけど、これで繋がりました。
……恨んでいるのか
先生。患者の話とか、家でしてませんでした?
何を……
たとえば、火遊びが高じて、放火してしまった女の子の話とか。
……!
記憶があるわけじゃないんですよ?
でも、わたしの記憶は誰かのお葬式から始まっていて、大きくなっても施設の人はわたしが捨てられた理由を絶対に教えてくれなくて、わたしはずっと炎を目にするたび泣きっぱなしのクズで、こういうふうに生まれついたものだと思っていました。
思っていたんですよ?
けれど、たとえば。そういうことにすると話が綺麗に繋がるんですよ。治療を受けた子たちの誰も、こんなふうにはならなかったみたいで、それは火事の現場にあってわたしだけが恐怖とは異なる感情を抱いていたってことで。
だから、わたしの憧れは、一度叶ったんじゃないかなって。
分かった。父さんが残していったダンボールに、その頃の資料が残っていると思う。
まずは、それを確かめてからでも
べつにホントの過去がどうだったかなんて、どうだっていいんですよ。わたしの中で折り合いの付く人生になれば、真相はそれでいいという話です。
きっと、わたしは初めからおかしくて、この憧れに真っ当な理由なんて、あるはずがないんです。
井内さん、明日のMCバトル決勝、一緒に見に行くって約束は。
そうですよ、これはそういう話なんです。べつにストリートで出くわしても流血沙汰とか起こさない常識人のラッパーたちが、バトルになるとありとあらゆる罵詈雑言を並べたてて殺生を騙りだすのは、DJが流すビートに乗せられたセッションだからじゃないですか。
どれだけ下手な脚本と役者の三流映画でも、音楽さえ良ければ涙腺緩むみたいな、そういうのがわたしにとっての炎で、否応なく泣き虫になっちゃうのに、肝心の炎はわたしの認識の埒外にあって、だったら限界までボリュームを上げるしかないじゃないですか。
そして、そんなの迷惑きわまりないじゃないですか。
…………
それにダメなんじゃないかな、やっぱりダメなんじゃないかなぁ、大学生活ふつうに楽しんだりしてないで焦がれなきゃダメなんじゃないかな、焦がれつづけたこの身はちゃんと灼きつくすしかないんじゃないかなぁ。
やめろ、それだけは引いちゃダメだ
そんな本当に、ガスバーナーのトリガーを引かせたくないなら、このゴミ山のてっぺんまで登ってきて、わたしから奪ってみせてくださいよ、このどうしようもない炎への憧れを!
クソっ、少しだけ動かないで、そのまま
……だから、こっちに、来ないで。わたしも、みんなが観た悪夢を共有したいって、ただそれだけなのに。
やめろ!
わたしは……今度こそ……ちゃんと炎を!
……ッ!
……ぇっ……やめてくださいよ……ぇぐっ……こんなゴミ山の上で……女の子を押し倒すとか……。
ごめん、足をくじいた
……なんで逃げないの……あなたが弾きとばしたガスバーナーの炎は消えず……ひぅ……もうきっと辺り一面……助からないよ……。
夕立が来たんだ。季節外れの大嵐が来たんだ。
……分かってたよぉ。わたしは最期まで泣き虫で……こんなにも焦がれたものを感じられないんだって……うっ……うわあああああん。
いや、これは嵐だよ。雨粒も、雨音も、聞こえる。だから一緒に、この情景から逃げよう。
ひとつ訊きたいんだが
……なに……
たとえば友達が悪いことをして、それを警察に突きだしたとして、それでも友達を続けられるだろうか。
……私が世界を滅ぼそうとして……
それを俺が止めても、兄妹であることには変わりないって?
そうだな、そんな気がしてきた
……約束……
分かった。あとな、やっぱり譚丁サークルは続けようと思う。
……うん……
…………
…………
…………
……元気そうで良かった
なんで、こんなところまで面会に来たんですか。常識的に考えて、こんな惨めな姿なんか知り合いに見せたくないって、分かりますよね?
分からないよ。奈良原には思いっきり面会断られたけどさ、こうやって会ってくれるのなら。
それに井内さんは、どこにいてもわりと可愛いよ。その分かりやすく、ほっぺた膨らませて拗ねるところとか。
なんですか、なんなんですか、キャンプファイアーの時から、ときどきそういうナンパみたいなセリフ、明らかに言い慣れてなくて、すっごい無理してて。
あー、バレてたか
下心バレバレもいいところです
最初は疑ってたんだ。……井内さんが放火予告したんじゃないかって。でも、勘違いだった。
ごめん
勘違いどころか、わたしは
嵐はまぁ、いずれ過ぎ去るものだから
その頬のガーゼは
これさ、豚カツ揚げるの挑戦してみたら、めっちゃ油跳ねちゃって。
……そうやって最後まで誤魔化そうとするんですね、あなたも。結局、わたしが本物の放火魔なのかどうかは、なぜか警察も教えてくれなくて。
真相は不確定なまま、まだ生きていかねばならなくて。
真相じゃなくて、事件に潜む深層を見つけだすのが、探偵ならぬ譚丁だから。……なんちゃって。
ぜんぜん意味が分からないです
そういえば今回の事件けっこう世間的なニュースになったんだけど、肝心なところは報道されてないぽくってさ。
元凶の上映装置を造った繭棲先輩も、失踪しちゃったらしいし。
興味ないです
そうだ。なにか欲しいものあったら、次は差し入れするよ。
とくにないです
食事とかはちゃんと取れてるだろうか
ムショ飯、わりと健康的でダイエットにうってつけなんで。
……今日はとりあえず、お暇するよ。またそのうち面会申しこむからよろしく。
もう犯罪者のところに来る理由なんてどこにもありませんよね、探偵さん。
いや、あらためて譚丁サークルの勧誘に来るよ。やっぱり独りぼっちは寂しいと思うから。
もう……友達だなんて思ってませんから
ま、友情が両思いじゃなきゃ友達じゃない、なんて法はないからな。じゃあ、また。
………………。……どうして……っ……わたし泣きそうになってるのかなぁ……もうどこにも焦がれた炎はないのに……ぅぁぁ……。
(了)
『魔法少女ふわふわの夏』