ふんふんふん、なるほど、実に愉快だねぇ名塚なつかチャン。ところで、ちょっと小腹でも空いた気がしないかい。

言われてみれば、そうですね

だろう?

そろそろ夕方のおやつタイムと洒落こもうじゃないか。

なにか食べたいデザートはあるかい。その望みがボクに叶えられるかどうかはともかく、キミの本当のところを教えてくれたまえよ。

そうですね、……タルトとか食べたい気分です。

タルト、イイねぇ。具体的には、どんなタルトを食べたい気分かな?

む。うーん、何がいいかな……。

悩むねぇ。街もハロウィンの装飾に包まれてきた時分だし、パンプキンのタルトかな?

それもいいんですが……。うーん、もし何でも選べるとしたら、今はマロンって感じでしょうか。

マロンタルト!

んー、奇遇だねぇ。実はボクもちょっとそんな気分でねぇ、後ろの冷蔵庫を開けてくれるかい?

では遠慮なく開けますよ

むふん

……また、この展開ですか

それで、冷蔵庫には何が入ってるかい。名塚チャン。

どこからどう見ても、マロンタルトが一ピースだけ鎮座していますね……。

それはそれは仕方ない。とっとおきの手作りだけど、キミに進呈しようではないか。

そこにフォークがあるよ

……いただきます

いやぁ、タルトとか初めて焼いたものだから。形はちょっと不格好だけど、味の方はどうかな。

…………

どうかな?

ごちそうさまでした。……なかなか美味しかったです。

そんな、口では褒めつつ、してやられたような顔しないでおくれよー。

……学館のバイト案内に釣られて、このコンテナトラックに乗りこんでから三時間。

コンテナの中は意外と快適で、わりと楽しく雑談させてもらっているわけですが、目的地にはいつ頃着く予定なんですか。

目的地?

いやいや、僕たちヒトはね。こういう箱の中から生じて、いつかまた箱の中へ逝くんだ。

え、そういう話じゃない?

ああ、そうか。今日のバイト代、そろそろ渡しておかないといけないね。はい、どうぞ。

この封筒。一日のバイト代にしては、ちょっと厚みがあるんですが……。

なに、ほんの気持ち程度だよ。雑談とはいえ、キミの貴重な人生の一頁を拘束してるわけだからねぇ。

それに、あんな怪しいバイト募集に引っかかるなんて、あぶく銭も入り用なんじゃないかな。

…………。それで、さっきから予言系のマジックをするだけで、いったい何が目的なんですか。

繭棲まゆずみ先輩

ふぅん、キミはそういう表情もできるんだねぇ。

出会い頭にカードマジックを披露した時は、素直に目を輝かせてくれたっていうのに、その好奇心ったら今はもう不信感に育ってしまって、あの頃のボクとキミが出逢うことはもう二度とないんだ。

寂しいことだねぇ、そう思わないかい?

俺、カマかけたんですが。否定しないってことは、貴方が繭棲先輩なんですね……。

おやおや、なかなかの名譚丁たんていっぷりじゃないか、名塚チャン。

プラネタリウムサークルの方から。誰でもチャン付けする、赤ぶちメガネをかけた華奢な女性だと、そうお聞きしていましたので。

ふんふん、ボクなんかに興味を持ってくれて嬉しいよ。実はね、さっきの封筒には口止め料も入っているんだ。

どうかボクの所在を他人に、とくに大学の倫理委員あたりには漏らさないでくれたまえよ。

ここだけの話、彼らときたらさぁ。なんとなくのノリで、ボクの実験を断罪してくるからね。

こうるさくって、かなわない

倫理委員どころか……、重工系に就職した卒業生たちが、先輩を血眼になって探しているって噂になってましたよ。

あーあー、たぶん軍需の奴らだね。ルナコンが買収したところかな、おっかないなぁ。

ルナティックコンティニュー社って、β5を開発チームごと買ったメガベンチャーですよね……。

いったい先輩は、何者なんですか。誰に訊いても、天才だって口を揃えて言ってましたが。

あのね。天才っていうのは八重やえチャンとか、キミの妹君みたいな本物の回路を言うんだよ。

妹を、知っているんですか

選択肢そのいち。ボクは魔法使いで、だからキミの言うことも当てられるし、妹君のことだって知ってる。

……べつに、それでも構いませんですけどね、先輩。

なんだよー、つれないなぁ

つい先日、魔法少女に会ったんですよ。この伊宮から奪われた色彩を取り戻してくれて、もしかしたら本物だったかもしれなくて。

だから魔法使いが現われても、そうは驚きませんよ。

むふふん。イイねぇ。魔法少女イイねぇ。それじゃあキミは、こないだの学園祭の放火騒ぎもただの魔法だった、って言うのかい。

あの上映装置、けっこう心血注いだんだけどなー。魔法呼ばわりは、嬉しくもあり、哀しくもあり。

あれは……。一体全体どういう意図で造ったんですが。

んふ。それはもちろん我らがプラネタリウムサークルのためだよ。果てなき宇宙への憧れ、地に囚われた人類のロマンだねぇ。

そんな崇高なものだっていうなら、どうして軍需とか薄汚い話が出てくるんですか!

あんな、あんなものがあったから、奈良原ならはらは……。

おやおや、科学と戦争は切っても切り離せないものだよ。奈良原チャンもずっと戦ってきたんじゃないかな、何も灼けおちていかない真っ当な人たちの世界観と。

でも、そうだね。正直、気の毒なことをしたよ。カレの回路が完成するのは、もうちょっと先の話だと思っていたからさぁ。

回路?

選択肢そのに。ボクはね、キミの回路が読めるんだ。うん、だんだんと。

はい……?

とはいえ、今はちょっと読めない。だからほら学習させてもらうよ。

ぃやぁね、気付いてくれなかったみたいだけどさ。このコンテナの内装、三時間前とは地味に変わっているんだよぉ。

ほら、純白だった壁には、いつの間にかオレンジが差してるよ。冷蔵庫の上のコルクボードはお好みじゃなかったみたいだから、代わりにシロクマの編みぐるみ映して、これはなかなか気に入ってもらえたみたいだねぇ。

まさか、このコンテナ内も……

そうだよん。キミの回路にだんだんと最適化されていく特別上映さ。

ま、お仕舞いは突然に。実はこの箱、床以外の五面が透明ディスプレイでね。そこかしこの透明スクリーンと合わせて、立体感も出してみたりね。

ま、論より証拠、ちょいと電源切って外の様子を見てみようか。

何を、先輩

ぃよっと。どうだい、これでボクらの一挙一動は、ぜんぶ透け透けだよ。

……!

もうだいぶ日も暮れてきたし、これは高速道路といえど目立つねぇ。気恥ずかしくなってしまうねぇ。

……このトラック、外の風も入れてるんですか。

風、ううん?

キミはアレだね、共感覚の気でもあるんじゃないかい。

…………。これだけトラックを走らせて、まだ伊宮いみやのインターチェンジ付近って、どこに連れていく気ですか。

さぁ?

自動運転はランダムウォークモードだし、ボクとしてはこの箱にキミと引きこもられるなら、それでいいからねぇ。

いや、この状況は落ち着かないってレベルじゃ……。あれ、なにか夕空に光り物が。

おや、あれは流れ星じゃないかい。ほらほら、お願いをしなくっちゃ。この星が平和でありますように。

流れ星にしては、ちょっとデカすぎやしませんか。

あー、これはヤバいんじゃないかな。伊宮神社あたりに落ちそうだけど、街一つくらいは軽く吹き飛ばしそうな隕石っぽいね。

どうしようか

や、いやいや、そんな。……嘘ですよね。

選択肢そのさん。実はね、ボクはキミの死神なんだ。しかし、これほど大事になるとはねぇ。

おや、閃光が消え。もう衝突するよ。

…………っ!!!

§

お嬢さん、こんな門の前で立ちすくんで、どうしたのかな?

しばらくはシャバで自由の身だよ

……わたしの保釈金、誰が積んでくれたのか分からないんです。だから待っていれば、お迎えが来てくれるんじゃないかなって、おかしいですよね、そんな妄想。

心当たりは無いのかな

わたし、そんな身寄りとか、いないんです。施設のおばあちゃんもボケちゃいましたし。

……実は、面会に来てくれた人が、一人だけいました。でも私が、すぐに面会を断るようになってしまって、それでもずっと来てくれるんじゃないかって、本当は期待していたわたしがいて。

ふむ、これから会いにいけばいいんじゃないかな。

ダメです。きっと泣いてしまいます。

それもまた人生だよ

わたしは、もう

おやおや待ち人来たるかな。それじゃあ、こんなところには二度と戻ってくるんじゃないよ。

……!




……ぉーぃ……

おーい、やぁやぁ井内いのうちチャン。これはこれは奇遇だねぇ。

繭棲まゆずみ……先輩!

どうだい、元気してたかい

まぁそれなりには、ええ、とっても健康ですです。先輩も相変わらず楽しそうですね。

うーん。……こうやって出会い頭にボクの頭をわしゃわしゃするのは、キミくらいなもんだよ。

これでも髪型には気を使っているんだけどねぇ。

あーもー、先輩はいっつも不敵な顔して、どうしてそんなちっちゃかわいーんですか、わしゃわしゃにもしますよー。

うー。キミのそういう屈託の無さは、敬意に値すると思うよ。うん。

ともかく、こんなところで立ち話もなんだしさ。ちょっと散歩に付きあってよ。暇しててねぇ。

はぁ、それは構いませんが、あの、もしかして繭棲先輩だったんですか。保釈金、けっこうな額だって。

おおっと、ミナまで言ってはいけないよ。そういうことはね。ま、ナニカ思うことがあるなら、うちでバイトでもしないかい。

仮想通貨の為替で一山当てて、あぶく銭持てあましてるのさ。

先輩……だったんですね。でしたらまぁ恩返しにバイトでも何でもしますけどね?

おやおや、華の女子大生が条件も聞かずに即答とはいただけないなぁ。キミはアレかな、破滅願望の気があると見た。

否定はしませんけどねー。もう別に、わたしは……。先輩こそ、女子寮でちょっとした怪談みたいになってましたよ。

手当たり次第にお金でたぶらかしては、怪しげなマジックで記憶をぶっ飛ばす実験してるって。

イヤだなぁ、人聞きの悪い。労働の基本じゃないか、金銭と時間の交換は。

桐ちゃん、プチ記憶喪失になって、田舎に帰ったって噂です、わたしがクラブでターンテーブル回したらブレイクダンスしてくれるって、入寮式で約束したのに。

そうさねぇ。桐咲きりさきチャンのことは、運が悪かったねぇ。

運……。そうですよね、先輩はそういう人ですよね、わたしの失認症だって先輩だったら、ちょっと運が悪かっただけだって、気楽にやり過ごせたんでしょうね。

どうかなぁ。ほら、ボクはこのとおり毎日お薬飲んでないと、万事つまんなくてやってらんない日々だからさぁ。

それ、合法なクスリなんです?

……んっ。ただのプラセボだよ。ブドウ糖の塊さ。そういうことにしておくれよ。

そうだ、ときに井内チャン。たとえばの話なんだけどさ。ある日ふっと空を見上げたら、街一つは軽く吹き飛ばしそうな隕石が落ちてきたとして。

キミなら、どういう反応するかな

新手の心理テストです……?

ほらほら、早くしないと、伊宮いみやが滅んでしまうよ。はい、はい、さん、にぃ、、。

ああ、分かりました、分かりました、わたし催眠とかすぐ掛かっちゃう方じゃないですか。

だから、その手拍子を止めてください

そうですね……、ありったけの感謝の念を、今までお世話になった方に、むむむ、誰に……?

いち、、、

あーーー、やめて、止めてくださいってば。そうですね、こうやって隕石を受けとめようとしてみたり、なんて……?

ふぅん、その心は?

わたしたちの命を奪うものがそこに在るのなら。それは抱きしめるほど愛おしいものだってことにしておきたいじゃないですか。

ふんふん、最近の子らはそういう発想をするんだねぇ……。昨日会った男の子はさ、グーで殴りつけようとしてたよ、あんなにデカい隕石をさぁ。

それは、両手を広げたわたしの方が、一枚上手ですねー。

へぇ。言うねぇ。よし決めたよ。井内チャン、ちょいと忍びこんでもらいたい研究室があってさぁ。

わー、とうとう窃盗に手を出しますか先輩、ドン引きです。

そう言わないでおくれよ。いやね、忘れ物を取りにいってほしいだけなんだ。なんというかボクは、見つかると厄介な相手が多くってさぁ。

ほら、うっかり羽交い締めにでもされたら、ひ弱なボクはどうしようもないし。

はいはい、先輩は教授陣から引く手数多ですもんね、知ってますよー。あ、もしかして、わたしもムショ帰りって後ろ指さされまくりです?

そんなことで人気者になるのはちょっと……。

それは大丈夫じゃないかな。ボクはともかく、井内チャンのことはまったく報道されてないよ。

そして、大学生が気の迷いでしばらく失踪することなんて、よくあることじゃないかな。

……繭棲先輩って、人の気持ちがさっぱり分からないようで、そういうフォローは入れてくるの何なんですか。

むふふん、ボクは博愛主義者だからさぁ。もっとキミたちのこと、身も心も知りたくって。

おや、もう着いたね。ほら、このトラックが今の住まいだよ。折角だし、今日はウチに泊まってかない?

だから、そういうちょっと危ない発言するから、陰ながら女子寮でモテたりするんですよ。

わたし、そっちの気ありませんから

んー、あのね。ボクは、そういうのは誰相手だろうと、からっきしなんだ。こんな貧相な体してるしね。

でも下心見抜いたのはさすがだね。ここだけの話、最近どうもね、悪夢ばかり観て怖いんだ。

流れ星が地球をぶっ壊す夢。だから誰か傍にいてほしくてね。

それで、さっきの心理テストですか。内的宇宙生成論なんて、わけわかんない研究するからですよ。

こういう唯ぼんやりとした不安を取りはらうために、フツーの女子はどうするのかな。

どうにも、その手の回路がなくっていけないね。

……このトラックが積んでるコンテナ、防音です?

そりゃあ、音くらい遮断しないと、きちんとした箱とは言えないからねぇ。

泊まりはしませんけど、お邪魔しますね。……そういう時は、思いっきり歌えばいいんですよ、先輩。

§

――なんて、伊宮いみやに隕石が落ちる悪夢を観たんだ。

もう、お兄ぃったら。ざまあ♡

というか、観せられたんだけどな。コンテナが透明ディスプレイなんて大嘘、学園祭と同じ上映装置を使って、外の風景にCG重ねたものをリアルタイムで映してたっていう。

少しは学べ♡

まったくな。でも臨場感はガチだったんだよ。ちゃんとトラックの揺れに同期してたし。

……あ、そうか、やたらと揺れるなと思ってたら、わざと揺らしてたのか。

そゆんのは、マジシャンの手口だぞ♡

やっぱり、そうだよなぁ。知らず知らずに、会話の受け答えやら誘導されてたんだろうなぁ……。

で、どんな壺を買わされたの♡

買ってねーよ!

……代わりに、依頼を受けてきた

お人好しが過ぎるぞ♡

そう言うなよなー。食ってかかってはみたものの、学園祭の事件、実際のところ繭棲まゆずみ先輩に責任はないからな。

本心じゃないクセに♡

……ま、あの人があんな装置を造らなかったら二人とも、……いや、どうかな。いずれは……。

ともかくバイト代もたんまりもらっちゃったし、久々にちゃんとした譚丁たんていをやろうと思いたったわけですよ、兄は。

何をヤるの♡

先輩の忘れ物を、研究室へ取りにいく。深夜、誰にも見つからないように。

窃盗とか、ドン引きだぞ♡

やっぱ、そう思うよなー。先輩はさ、パクられた研究成果を取り返すだけだ、って主張してたけど。

ただ、その成果ってのがな。学園祭で上映するはずだった、八重やえさんの宇宙生成モデルって話なんだよな。

ふぅん♡

それはさ、無視するわけにはいかないっていうか。

もう、お兄ぃのえっち♡

……なんでだよ!

そのモデル、八重さんの露わな深層心理そのものだぞ♡ それ独り占めするつもりでしょ♡

ぐぬぬぬ。ま、先輩に渡さない選択肢もあるとは考えていた。あの人、倫理規定に触れる実験してたって話もあるからな。

八重さんに行ってた実験次第では

で、忍びこむの、どこの研究室なの♡

ナタリア教授の研究室。情報学科棟の地下にあるらしい。

……うん♡ そこ私も一緒に忍びこむから♡

え、マジで。それマジで言ってんの。いや、この病室を出る気になったのは嬉しいんだ。

すごく嬉しい。でも、こんなあっさり。

だって、そこ。変な妨害電波出てることあって、お兄ぃのスマホ経由で監視するのは心許ないから♡




――おい。本音を言えば、このまま見なかったことにしたいところなんだが、もう耐えられないから訊くぞ。

ウィーン、ウィーン

妹との待ち合わせ場所に来てみたら、どう見ても羊のロボットが一匹いるだけ。なんかそのまま後を付いてきて、妹の声で擬音を発しているんだが。

ウィーン、ウィーン

たしかに俺は、自分の妹が人工知能なんじゃないか、なんて冗談も言ったさ。言ったけどさぁ、まさかホントにそういうオチじゃあるまいな。

アー、アー、私ハ紛レモナク、お兄ぃノ妹デス。ソノ姿ハ、サナガラ彷徨エル仔羊チャン。

…………

ウィーン、ウィーン

…………

ウィーン、ウィーン

……な訳ないよな、どうせ遠隔操作だよな、ちょっと信じた俺が頭悪すぎた。ってか、なんでさっきから音楽の都を連呼してるんだ、羊なら羊らしい鳴き声をだな。

パォーン

ぐっっ。ともかく、ようやく妹と対面できるかもしれないって、美容院デビューして服も新調しちゃった俺のときめきを返してほしい……。

ゴメンネ、コンナ妹デ

いや、いい。いいんだ……。ともかく情報学科棟に入るぞ。先輩からカードキーは貰ってきたから、これで。

正面ジャナクテ、裏ノ資材搬入口カラ入ルベキ。

誰かに見られるって?

たしかに、草木も眠る丑三つ時だっていうのに、上の階ちょいちょい電気付いてるし。

ま、情報科なんて生身の人間に興味なさそうな奴らだし、すれ違ったくらいじゃ記憶にも残らなさそう。

ココノ入館システム、誰カガ不正侵入シテル。

え、それお前じゃなくって

私以外ニモ。エレベーターノ方モ掴ンデル。乗ッタラ最悪閉ジコメラレテ死ニ至ル。

えー、何それこわい。……いうて、学生ハッカーがハロウィンの悪戯仕込んでる最中とかじゃねーの。

穴ヲ空ケタノハ学生ッポイケド、管理者権限ヲ取ッタパケットノ出所ハロシアダカラ、ナニカ変。用心スベキ。

ロシア……?

と言われても、このキー、たぶん裏口には使えないぞ。

ソッチハ別系統ダカラ、私ガ管理者権限ヲ取ッタ。

うわぁ。さらっと言うなぁ。うちの大学のセキュリティどうなってるんだ。……いや、いいんだ。

兄思いの行動で助かるよ。裏口に行こうか。

パォーン、パォーン

……げ、マジで裏口開いてる。うーむ。

パォーン、パォーン

ここからエレベータは無視して、非常階段を降りていけばいいんだよな。って、お前、何それキモい。

わりとガチでキモい

ィーン

羊のロボットから、一回り小さい羊のロボットが出てきたんだけど、何なの、俺の妹はマトリョーシカなの?

コノ先、普通ノ携帯回線ノ電波ハ届カナサソウダカラ、中継用ニ羊皮ヲ置イテイク。

お、おう

ウィーン、ウィーン




さてと、ここのサーバールームの片隅にあるのが、ナタリア教授の研究室らしい。

よくこんなゴォゴォうるさいところで研究するなぁ……。

誰カ居ルカモ

いや、教授は今ロシアに帰省してるとか。後期は授業受け持ちないんだとさ。

さてと、ここのロック。ドアノブ備え付けの15パズル解かないと開かない変態仕様らしから、手袋付けてっと。

ソレ絶対二解ケナイ配置ダヨ

げ、マジか。あれ、もうドア開いてるな。まぁいいや、お邪魔します。

なんか、ずいぶんと。フリフリした内装の研究室だなぁ。教授、わりと冷徹さを隠そうともしないタイプの美人だから、ちょっと意外だ。

で、先輩曰く、薄いチェリーピンクのカーテンの、あ、これか、その横にある本棚を動かしてっと。

…………

お、隠しドアだ。マジであるんだなぁ、こういうの。なぁおい、わりと探偵っぽくないか、いも……がはっ。


ふん。そこに隠していたか、ナターシャ。

……っ

動くな。暴れるな。

やめ、苦し……い……

ナターシャの研究について、どこまで知っている?

こっの、クソ野郎。ああ、ハッキングしてたのはお前かよ、ロシア人。

答えろ

首を、締め……るな。ごほっ。知ってるさ。譚丁だからな。あの宇宙のことだろ。

見たのか

ああ、観たさ。お前が知らない、始まりから、終わりまで、な。

最悪だ

そういえばお前、俺の妹をどうした?

知らん

ざっけんな

黙れ。そして貴様の神に祈れ、日本人。

……!

§

ジャーン、イツデモお兄ぃノピンチ二、ジャジャジャーン。ハイパー妹チャンデス。

助か、った。殺され、るかと思った。っていうか、殺さ、れるかと思っ、た。

ウィーン、ウィーン

で、何をしたんだ。どうやって、この巨漢を倒した……?

コンナコトモアロウカト。渦巻キ角スタンガンヲ少々。

なんで、そんなもの仔羊ちゃんが装備してるんだ。……でも、ホント助かった。

ドウモ、ハイパー電気羊チャンデス

それでさ、この気絶してる巨漢はいったい何者なんだ。なんかガチでヤバい感じが。

どうしたものかな……

ソコノ隠シドア、開ケル?

……開けたい

タトエ命ヲ賭ケテモ?

そうだよな、これたぶん、そういう話なんだよな。ナタリア教授が何かヤバいことに足突っこんでいて、巻きこまれたって話なんだよな。

だったら……、なおさら。ここに来て引き下がるわけには、いかないというか。八重やえさんの宇宙、手に入れなきゃだし。

ソンナニ欲シイノ?

……ああ、それだけの価値があるものなんだ。お前にも、見せてやりたいしさ。

嘘デショ。学園祭ノ時ミタイニ。友達ダカラ、命ヲ賭ケルノ?

そう……だな。そうだよ。当の八重さんは、友達どころか、俺の存在すら忘れてるだろうけどなー。

お兄ぃノバカ

知ってる

八重サン、ドウシテ宇宙ヲ夢見ルカ、分カル?

そりゃ、ロマンチストだからじゃないか。それも、とびっきりの。

ホントニ、ソレダケノ理由ダト思ウ?

え、天性のロマンチストだから、とかそういう話じゃないのか。

ジャア。ワタシノ口調ガ、コロコロ変ワル理由ハ?

…………

…………

お前なりの照れ隠しかと

お兄ぃニハ、キット分カラナイダロウネ

俺は。凡人だからなー。

ソウダネ

そこはちょっと否定してほしかった複雑な兄心。

ヘッドマウントディスプレイ取ッテ

ん、この机の上のやつか

ロシア人ニ被ラセテ

ちっ、頭デカいな。ちょっと待て、ギア緩める。……おっけー、被らせた。

ソノ赤イコードノ先ヲ、一思イニ刺シテ。恥ズカシイケド、お兄ぃナライイヨ。

コードってこれか。で、どうして可愛い仔羊ちゃんの尻が、俺に向いているんですかね……。

ココニ端子ガアルノ

げっ、マジで?

マジデ

仕方ない、お望み通りぶっ刺すぞ。このモフケツに。おらっ。

ヒャン。大キスギダヨォ、お兄ぃチャン。

えー……

ロシア人ガ目覚メタラ、コレデ視覚ト聴覚ヲハッキング。

ちなみに、何を見せるつもりなんだ?

ソレハお兄ぃノ

いや、やっぱいい。どうせろくでもない気がしてきた。

お兄ぃノ、絞殺サレル姿ト、撲殺サレル姿ト、殴殺サレル姿ト、ドレガイイ?

分かってる。兄は分かってるぞ。その巨漢に俺が大人しく殺されたと、そう勘違いさせるつもりなんだよな。

だから、野暮なことは突っこまないぞ。どうして、そんな惨たらしいVR映像をすぐに用意できるんだ、とかそういうツッコミはな!

ウィーン、ウィーン

……じゃあ、ちょっと隠しドアの先、調べてくる。また殺し屋っぽいのが来たら、できる範囲で倒してくれると助かる。

主に、兄の命が

オッケー。妹ノ命二代エテモ。




見事なまでに暗闇だなぁ。何も見えない。


げ、ドア閉まった。閉じこめられた。やっぱこれ先輩にハメられた気がするな。


うーむ、なにか呟いてないと、闇に呑まれそうだ。参ったな。


俺、何やってるんだろうな。わざわざ危なげなことに頭つっこんで、さっきみたいに襲われても喉元過ぎれば何とやらだし。

最近どうも現実にリアリティが


なにか焚いてる気が。アロマ?

ちょっと焦げた感じの……


みんな元気かなぁ。最近ちょっと冷えてきたから、奈良原ならはらも、井内いのうちさんも、獄中で風邪ひいてないといいけど。

八重さんとか、今どこで何してるんだろう。今は、どんな名字を、騙って……。

§

 くらり遠のいた意識を繋ぎとめるように。

 閉ざされた闇の先、薄ら青ざめた灯火が揺らいでいる。

 目を凝らしてみると、水晶に閉じこめられた針が、ほのかに光っていた。

 自然と右手が伸びて、ふっと平衡感覚を失ってしまい、前方がくるっと上方に転回する。

 水晶に見入ってしまって、自分が落ちているのか、自分に落ちてきているのか、そんなことすら分からない。


 一閃。

 仰ぐ水晶に亀裂が走って。

 細かいヒビが瞬時に枝分かれを繰りかえし水晶は粉々に破砕した。

 青白い光の粒は周囲に鋭く散らかり。

 惑う夢は霧の中。


 幻を観ている。

 また幻を魅せられている。

 そんなことは身に沁みて分かっていた。


 やがて漆黒の虚空に未熟な世界が灯されていく。

 つーっとクレヨンの荒い線が横に薙いで、地は茶色に、空は青色に、塗りたくられていく。

 空に滲む白はちぎれ雲となり、そのうち幾つかは地平線に沈み溶けだして、澄んだ海から寄せては返す白の小波。

 それはそれは幼く握りしめるクレヨンで描かれた、真夏の波打ち際の情景。

 眩しい思い出を綴った絵日記のように。


 二閃。

 絵日記の一頁に、山線と谷線が交差して。

 懐かしきクレヨンの世界は、ぱたぱたと折りたたまれた。


 そうしてまた未熟な世界が灯されていく。

 折って、畳んで、引きだして、おもむろに蠢きはじめる、折り鶴に、折り兎に、折り蛙。

 ぎこちなく、けれど思い思いに、羽ばたいて、駆けぬけて、跳びはねる。そんな彼らは初々しい躍動の申し子。

 でも、どこか間違っている。鶴の頭は二つあって、兎の耳は蛇腹で、蛙は逆しまに跳ねている。

 それもまた良しとするのは自然への冒涜だろうか。


 三閃。折り紙を、通りすがりの夕立が溶かして、その一滴一滴が凍えていった。


 未熟な世界が灯されていく。

 そこかしこから立ちあがる霜柱の直方体。

 まるで高層ビルひしめく都市のように、けれど人影はどこにもなく。


 四閃。移ろい旅する風船の世界。

 五閃。踊る桜吹雪の世界。

 六閃。七閃。八閃。


 いつしか八重やえに砕かれた水晶の幻灯も断ち消えて。

 ふたたび見渡すかぎりの虚空、その純白の風に幼い女の子が揺らいでいた。

 忘れ去った世界に泣きじゃくって、けれど人影を見るなり、ぱっと微笑みに変えて。

§

お兄さん、こんにちはっ

君は……

八重やえは、八重なのです。ねっ。

八重……ちゃん。こんにちは。名塚なつかれいです。どうして、こんなところに一人で。

あれ、どして、八重は……

あーいや。怯えないで。あのさ、八重ちゃんは、俺のこと知ってる?

ぇ、ぁ。。。おこらないで。……ね。

ああ、大丈夫。俺は君の、その、ファンみたいなものだから。

わ、ファンさん!

八重は、忘れっぽい屋さんなの。みたいなものだから?

幼稚園でも、こういうこと、よくあるの

そっか。……小さくても、記憶障害は変わらないんだ、八重さん……。

えと、忘れっぽいのに、なんで、忘れっぽいことは覚えているか、っていうと。ね。

あれ、どしてかな……

あ、分かるよ。八重ちゃんはエピソード記憶が少しだけ苦手なんだよね。わけあって少し調べたから、それは分かってるよ。

そう、えぴそーどがダメなの!

お兄さん、かしこい

ま、譚丁たんていだからな。なんて。

探偵さん……。探してほしいものがあるの。ねっ?

ん、俺が探せるものなら。なんなりと。

ホントの八重を探してほしいの

……え

あ、間違えちゃった。八重はここにいるもん。ねっ。ホントの八重のセカイを探してほしいの。

世界……?

ああ、もしかして、さっきの水晶の。クレヨンとか、折り紙とか、霜柱の世界のことかな。

そだよ。八重のこと分かってる。ねっ。もしかして、お兄さんは八重のお兄さん?

ふっ、照れるなぁ。そうか、俺が八重さんの兄か、はっはっは……。

いやいや。本当の世界ってさ、そんなもの探さなくても、八重ちゃんが水晶に夢見る世界は、充分に素敵だから。

そのまま気ままに夢見ていてほしいなぁ、通りすがりのお兄さんとしては。

お兄さん、かしこくない。それじゃダメ。八重はダメなの!

あの。ね。八重には、みんなのセカイがよく分かんない。忘れっぽい八重のセカイはゆらゆらしちゃうのに、みんな、ふつーはゆらゆらしないってゆーの。

だから。ね?

世界が揺らぐ、って。それは……今も。

ううん。今はだいじょーぶ。お兄さんしか見てないから。お兄さんがゆらゆらしなければ。ね。

じゃあ……。俺が、ここから、いなくなったら。

やだ。ずっと、いて。

……ごめん。それはできない。

やだぁ

八重、ちゃん

かんばってるの。八重、思いだすの、いつもがんばってるもぅん。でもダメなの。

お兄さんのことも、思いだそうとしたら、きっとふらふらしてて、ね。また、お兄さんに会った時、こなごなになっちゃうの。

……え

あ、忘れっぽいのに、なんで、忘れっぽいことは覚えているか、っていうと。ね。

八重ちゃん!

あのさ、さっき夢見た水晶世界、まだ覚えてる?

どれか一つでもいいから

ぁ。ぉこ、おこらないで……。ね。

大丈夫。べつに、いいんだ。忘れちゃったなら、それはそれで。

すいしょー。ね。あれば、また見れるよ。

でも、水晶はもう砕けて……。いや、在るな。この俺の瞳の中、ここに二つの水晶体が。

なんて

それ砕けちゃっても、だいじょぶ?

え。いやー、はっはっは。まぁ、何とかするよ。気合いで。

じゃあ、八重、お兄さんのすいしょーたい、みつめてみる。ね。

……?

…………

……!

……すぅ……

…………八重ちゃん、今の君には何が見えてる?

うふ。お兄さんには何がみえてる?

……やっぱり凄いな。広くて、どこまでも果てしなく広がっていて、闇に鏤められた光の粒の一つ一つが大きな星々で、それぞれの質量で引きあって流転していて、そこから降りそそぐ流れ星があって。

これ以上、うまく俺には言葉にできないけど、八重ちゃん。君が夢見ているのは、宇宙って言うんだ。

うちゅー?

たぶん現実の宇宙とは、地球があって太陽系があって天の河がある宇宙とは、ぜんぜん違うと思うけど、これは紛れもなく、一つの。

ちゅー?

あっ、近い。顔、近いから。

もう八重から、目をそらさないで。ね。

逸らしたら、どうなるのかな

うちゅーがこなごなになっちゃう。そんなの、もうやだぁ。

……八重ちゃん。あのさ、君が泣いていたのは、色々なことを。忘れたのが哀しいからじゃなくて、覚えていないのが寂しいからじゃなくて。

みんなと同じ世界を生きていくためには、その瞬間に君が見ているもの以外、世界の全てをことごとく夢見る必要があって。

でも、それはどこか現実とズレているから、ことごとく粉々になっていくのが、やりきれなくて。

そらさないで。ね?

八重、ちゃん。大丈夫。大丈夫だから。

なにが?

だいじょーぶ

大丈夫。風が、吹くんだ。粉々になった世界にも、蛇の神様が吹いて。同じ風が、きっと、、巡り合わせを、、、。

お兄さん。ないてるの?

いや、まさか。……一応そろそろ成人する身として。八重ちゃんに大切なことを一つ、教えてあげよう。

んー

実はね、みんなの本当の世界も、わりとよく粉々になってるんだ。伊宮いみやに来て、そういうことを学んだんだ。

そーなの……

沢山の思い出に囲まれて生きていくことも、素敵なことだけれど。いつも違う名字を名乗って、ふっと夢見たことを誰かの心に残していく生き方も、とても素敵なことなんだって思うから、さ。

…………

…………

お兄さん、かっこ良さそうなこと、言っても。八重、忘れちゃうよ?

いいんだ。その時はまた格好付けるから。縁あるかぎり、気が向けば何度だって、さ。

ありがとう。ね。そう言ってくれる人がこの世に一人でもいるなら安心して。これで八重は、うん、八重になれそう。

もう少しだけ、目を逸らさないでください。ね。

八重……さん?

今は、何が見えます。かっ。

流れ星が、見渡すかぎり満天の流れ星が、降りそそいで……。

令さん。わたくしは大切な人のことほど忘れてしまうから。大人になったわたくしを探してみせてください。ねっ。

§

おーい、妹よ。なんか八重やえさんの心象風景っぽい不思議空間で、キーアイテムっぽい水晶を手に入れたぞい。

…………

む、仔羊ちゃんの姿が見えない。代わりに、倒れた不審者の数が増えている。薄氷を踏みぬきそうな展開っぽいぞ、と。

…………


…………っ

……この通り、だ。抵抗の意志はない。だから、後ろから首筋に当てている冷たい金属を、どうか降ろしてくれ。

…………後ろ手に水晶を回して

その声、まさか。……井内いのうち……さん?

振り返らないで!

お願いだから、わたしに顔を見せないで

……まだ不思議空間の中にいるのか、俺は。

なんで、どうして、こんなところにあなたがいるんですか!

こんなの不意打ちで、ズルくって、そうですよね、名塚なつかさんの声が聞こえるのは、わたしの幻聴なんですよね?

ずっと、ずっと檻の中で、嵐に紛れた声を反芻しすぎたわたしの。

井内さん。分かった、水晶は渡すよ。それで、ゆっくりと、ゆっくりと振り向くから。

待って。振り向かない……で。……ぇぅ……やっぱり。あぁぁ……また……もう泣きたくないのに……ぅあ。

あ……。や、大丈夫、大丈夫だから。ここにはもう燃えさかる炎はないから。

そうじゃな……ひっ……そうじゃなくて……ひぐっ……嵐はもう来なくて……あなたと一緒に逃げたから……なのに。

ともかく良かった。またこうやって会えて、話できる日が来て。

いいことなんて……こんなの……っ……最悪で。

さよなら。来ないで……ぜったいに追いかけてこないで。

いや、そんなこと言われたら。追うに決まってるだろ、今度こそ……!




ふん、ふふーん、ふん、むふふふーん♪

……っ!

やぁやぁ井内チャン、どうしたのかい、そんなに泣きはらして首尾は上々かい。

なんですか、この水晶、なんなんですか一体!

おや、観たのかい?

ってことは、その水晶を起動できたってことだねぇ。ありがとう。

それ覗きこむと、トゲトゲの針みたいなのが見えるだろう。その溝に八重チャンの回路をコンパイルしていてね。

ただ、肝心のところが欠損しちゃっててさぁ。エピソード記憶が保てない八重チャンを、それでも八重チャンたらしめる自己同一性の芯。

その繊細な綾が、なたりあチャンとかボクには、どうにも解き明かせなくってね。

起動したのは、たぶん名塚さんです。わたしは水晶を奪った後、名塚さんを撒いて、教授の隠し部屋に戻っ……ていうか、どうして名塚さんがあそこに居るんですか!

もう見せたくなかったのに、焦がれた泣き虫のわたしを世界でただ一人、彼だけには見せないって心に決めてたのに、堪えきれなくて。。。

だいたい地下のサーバー室には怪しい奴らがバタバタ倒れてるし、なんか火事場の馬鹿力みたいなので一人わたしも倒しちゃったし、あんな危ないところ前科持ちのわたしだけで充分だっていうのに、名塚さんまで巻きこんで、そういう事情もぜんぶ知っていたんですか、どうせ知ってたんでしょうね、そういう人ですもんね、先輩……っ!

まぁまぁ落ちつきたまえよ。たしかに同じバイトを名塚チャンと、それから井内チャンにも頼んだよ。

重要な依頼を二系統、間違いないだろう?

それより前科持ちとか自称するのはいただけないなぁ。起訴はされちゃったけど、まだ裁判は始まってないわけだし、どうせ無罪に落ち着くからさぁ。

司法に手を回してたら数ヶ月ほど掛かっちゃったけど、そこは安心しておくれよ。

また、さらっと大それたことを言いますね、先輩は。

……だとしても、そんなことは関係なく、学園祭で実際に火を付けたかどうかは関係なく、わたしは前科持ちなんですよ。

ぜんぶ思いだしたんです、施設に引き取られる前のこと。そして炎を見ると泣くようになってしまった事件のことを。

わたしには兄がいて、ほんの少しだけ名塚さんに似ていて、わたしはちょっとブラコン入ってて、でも兄は炎に魅入られてしまって、小学校裏の森で何度か小火騒ぎ起こしていて、そこから飛び立つカラスを真っ黒に焦げたものと勘違いしたわたしは、自分がされてイヤなことはしちゃダメだって幼稚園の先生が言ってたから、ちょっと懲らしめようと思って兄の部屋に火を付けたわたしは、兄も黒く焦がされればカラスの気持ちが分かるんじゃないかって、幼稚な勘違いをわたしは……!

あー、あのね、井内チャン

なんですか、兄殺しのわたしがこんな、のうのうと生きていい道理なんて、どこにも……!

それでキミの中では筋が通っているのかな。折り合いが付いてしまうのかな。

当たり前じゃないですか。こんなろくでもない記憶でも、わたしはずっとずっと思いだせなくて、それが辛くて!

その突如思いだした記憶は、ね。キミの作り話だよ。

は……い?

水晶に刻まれた八重チャンの回路に、欠けた記憶を投影したんだね。

残念だけど、井内チャンは一人っ子だよ。火事で亡くなったのは、キミのご両親さ。

暇潰しに、戸籍や消防署の記録を調べておいたから、間違いない。孤児院の方針でキミは詳細を知らされなかったみたいだけど、火事の原因は単なる寝タバコだよ。

そしてね、キミが炎を見ると反射で泣くようになってしまったのは、たまたま治療中そういうふうに脳神経が繋がってしまっただけで、そこに特別なドラマなんて何もない。

何もなかったんだ。運が悪かったね。

そんな、そんな話が、通るわけないじゃない、ですか。また、どうせ適当なこと、ばかり言って、先輩は。

んふ。元々、キミで実験してみたい気持ちはあったんだ。これで手間が省けたよぉ。

起動した水晶を手に入れて、その回路が他人の記憶にも作用することを示してくれた井内チャンへのバイト代は、保釈金なんかじゃ足りないねぇ。

とびっきりのお礼をしなきゃ

兄の……兄の存在も、わたしのでっちあげだって、そう言うんですか。

おおかた名塚チャンから妹の話を聞いて、自分と重ねたかったってところじゃないかな。

そういえば、名塚チャンはアレだね。現実に垣間見える幻想を、そのまま守りとおそうとするタイプだね。

そのためなら、妹と生き別れることになった事件の結末だって、ずっと気にしながら確かめずに呑みこんでる。

そういうスタンスに敬意を表してボクもさぁ。井内チャンには、学園祭の時に火を付けたかどうかあやふやのまま、確定情報が伝わらないように手を回させてもらったよぉ。

……っとに、人の気持ちが分からない人ですね、先輩はッ!

えー、最近わりと予習復習がんばってるんだけどなぁ。そうだ、たまには女子らしく、恋バナでもしよーよ。

ねーねー井内チャンは、ずばり名塚チャンのことが好きなのかい?

またそうやって、話を!

実を言うと、ボクはね。井内チャンの回路も、名塚チャンの回路も、わりと好きだよぉ。

……わた、し……は……ッ!!!

ええ、そうですよ……ぐずっ……わたしは……井内ほおずきは……どうしようもなく名塚さんのことが……

  

むふん

…先……輩ッ!

………………いいですよ。バイト代として、わたしから。この兄の記憶と、それから名塚れいに関する記憶を……全て消してください。

そっかそっか、そう来たか。井内チャンの頼みなら仕方ないね。

…………

ん、何だっ……て。記憶の消去?

……ぁはっ、ようやく、先輩の驚いた顔が見れましたね。できますよね、まさか繭棲まゆずみ先輩とあろう者ができないってことはないですよね、どうせわたしたちに施された名塚先生の治療法も調査済みなんでしょう、それを誰かに実験したくて仕方ないんでしょう。

へぇ……。なるほど、なるほど、面白いなぁ、ほんとボクは勉強不足でいけないね。

まさか、井内チャンの回路から、そんなセリフが発せられるとは思ってもいなかった!

どうしてかな。どうして想い人を忘れたいなんて思うのかな。ああ、アレかな、自分を試してるのかな。

記憶をなくしても、また同じ相手に恋をしたならば、その気持ちは本物。っていうロマンチックな話かな?

違いますよ。わたしのロマンは、そういうのではないので。

えー、生まれ変わっても何度だって貴方と巡り逢う、なんてセリフを。今時の子に大人気っていう映画で聴いたよぉ。

わたしの今の気持ちは、今のわたしが独り占めします。未来のわたしにはあげません。

だから、この焦がれた気持ちに、また折り合いを付けてしまう前に。……もしも、また縁があって名塚さんと出会うことがあるならば、その時はぜんぜん違う関係性になるのがいいです。

うーん、わっかんないなぁ。難しいなぁ。面白いなぁ。ボクには、キミが恋した理由も分からなければ、その素敵な思い出を消したい理由も、ぜんぜん分からない!

……んっ。まぁいいや。名塚センセの治療法ね。電磁誘導使って灼き切るアレだね。

海馬から完全に抹消するわけじゃないし、ボクも人間相手に試すのは初めてだから保証はできないよ。

うまくいっても、一ヶ月後とか一年後に、ふっと思いだしちゃうかもしれない。

それはいいです。その時はその時で、記憶なくしたままのように振る舞いますから。

ふぅん。それじゃあ、さっそく始めちゃおうかな。暗示かけながら、脳神経に断続的な電気を流す感じになるよ。

どうぞ

なにか言っておくことはあるかい。善処はするけど、名塚チャンだけじゃなくて、他の人のことも忘れちゃうかもしれないからさ。

先輩、……そのいつも飲んでるクスリって、結局なんなんですか?

ただのプラセボだよ。ブドウ糖の。

そういうのはいいので

……寂しさをね、紛らわせるクスリだよ。恥ずかしながら、はじめて望遠鏡を覗いて外的宇宙を観測してからというもの、もう寂しくてたまらなくってね。

こんな広大な宇宙で、こんなちっぽけな体に囚われて、生きていかなくちゃいけないだろう?

そう……かもしれませんね

うん。ボクたちは、もっと自由に生きるべきなんだよ。心身ともにね。

だから井内チャンが、八重チャンとは違って自らの意志によってね。思い出を消したいと望んだことは、それもまた素敵なことだと思うよ。

この先、キミの人生がどうなっちゃうかは正直よく分からないけど、まぁできれば幸せにね。

§

もしもし、名塚なつかチャン。元気してる?

…………

なんだよ、つれないなぁ。今日は無口キャラって感じかい?

…………

しかし、名塚チャン呼びは、どうにも兄君と紛らわしいねぇ。名前で呼んでもいいかい、■チャン。

…………

いやぁ、兄妹水入らずの専用回線を割ったの、たしかにボクが悪かったけど、そんな黙りこまなくてもさぁ。

にしても、こちらの声に対して的確にノイズ入れてくるね、■チャン。

…………

名前呼ばれるの苦手なのは分かるけど、まぁ大事にしたまえよ。ボクもさ、乃音のねなんて名前で生きてるからさぁ、ローマ字表記だと難儀なことも多いけど、それも含めての人生だからねぇ。

…………

ああ、そういえば。キミの兄君、ちょっとお金に困ってるみたいだよ。このままだと、■チャンの入院費、賄えなくなったりして。

…………

そうそう、これはまた全然関係のない話なんだけどね。明日あたり、ベンチャー会社でも立ちあげようかなって気分なんだけど、一口乗らない?

…………

良い儲け話だと思うんだけどなぁ。ほら、前にキミから着想を得たコンテナの話、あれをビジネス化しようと思ってね。

わくわくしない?

…………

うーむ。たいがい独りよがりのボクも、ここまで反応無いと喋りづらいね。どのキミかも分からないし。

分かった、もう、こちらからは連絡取らない。せいぜいキミのうちの一人でもさぁ、箱の外へ出たくなるように、世界を変えてみせるよ。

じゃあねぇ

…………




また、やっちゃったかなぁ、ボクは。……お。

おーい、やぁやぁアリスちゃん。今日も良い毛並みをしているね、元気してたぁ?

…………

恥を忍んで打ち明けるとさぁ。ここのところフラれてばかりの日々で、さすがに堪えちゃうよ、うん。

…………

しょうがないから、寂しさを紛らわせるためにね。ベンチャー立ちあげようと思いたってさ。

…………

いやいや、もうプラネタリムはやらないよ。あの上映装置は相応に強い夢見あってのものだから、実に汎用性に欠けていてねぇ。

さっき設計書ごと廃棄しちゃった。なたりあチャンにあげた試作機も、ハッキングしてカーネルごと破壊したから抜かりはないよ。

これからはもっと需要のあるコンテナビジネスをね。なんなら宇宙を一から創りだせるコンテナをさぁ。

…………

むふ、人類の資源問題をね、ここらで根本的に解決しちゃおうかなって思うんだ。

誰も働かなくていい未来のためなら、ボクはいくらだって働くよお。

…………

え、アリスちゃん寿命が近いって?

キミも十五歳になるんだね。猫は、人と比べてしまうと、儚いものだね。

…………

そっかぁ、ご主人様も見送って悔いはないんだ。じゃあさ、アリスちゃんの回路。

持てあましてるなら、余生をボクに売ってくんない?

……にゃぁお……

やった!

え、本当に。いやぁ、嬉しいなぁ。すごく嬉しい。なんかもう泣いちゃいそうだよ。

そうだねぇ、さっそく会社の名前決めちゃおうか。なにせ僕たちには、あまり時間が残されていない。

いつ流れ星が降ってくるかも分からない。うーん、そうだねぇ、じゃあドリーミストとか、そんな会社名はどうだい。

いやぁ、これから楽しくなっちゃうな!

(了)

『DELETEME.mp3』