はいはいー。パリィ、かーらーのー、パリィ。どんどん回避ボーナス稼ぐよー。
あー、鉤爪当たらない。ちっくしょお、かくなる上は進化ワンチャン。……ワンチャン入った!
リアクティブアーマードドラゴン降臨!
これで勝つる!
それはどーかなー。結晶化した方に回りこんだから、なんのコマンド仕込んでるかお兄ぃには分かんないでしょー。
押し潰せば問題なかろうさ。火炎でハリケーン呼びこんで、かーらーのー、……げ、このタイミングで炉が燃料切れ……だと……。
待ってましたー。お兄ぃの尻尾を捕まえてー、お兄ぃが氷漬けー、処理落ち読んでー、心臓串刺してー、私が決めたーーー!
……ぐっ……
えへー
あー負けた負けた。完敗だ。……そのサファイアってキャラさ、強すぎんだろう常識的に考えて。
えー。お兄ぃの使ってるルビーってドラゴンこそ、正真正銘の壊れキャラだよー。とくにサファは相性悪くてねー、炉の使用時間だいぶ短縮されたとはいえ、まだまだ対戦ダイアグラム的には2:8くらいで不利なんだよー。
マジか。まぁ、そっちは人間キャラだしな。大きさからして桁違いだし、これでよくタイマンの格闘ゲームが成り立つもんだ。
こっちはドラゴンだけあって、進化すると下手な高層ビルよりデカくなるし。
元々は協力プレイ専用のボスキャラだしねー。同人から商業化する時に、プレイアブルになったらしー。
そんなチートキャラ使って、手も足も出ない俺の立場は。
お兄ぃのやってるよーに、進化優先であとは火炎ぶっぱするだけでも、充分に強いんだけどねー。このゲームならではの、処理落ちシステム活用しないとー。
その処理落ちシステムな。フィールドの遺跡とか破壊すると描画が重たくなるのは分かるんだけど、そのあと一気に加速して時の流れを取り戻す時に、うわあああああってなる……。
処理落ちしてる間に、先読みコマンドいっぱい入れておかないとー。
やりこんでるなぁ。初心者相手、ちょっとは手を抜いてほしい。
やだぷー
ガチ勢はガチ勢同士、サイレントドロップさんあたりに相手していただきたく。
サイレントさんねー。この秋のオンライン賞金付き大会総嘗めして、ネトゲ全般引退しちゃったよー。私も思いっきりリベンジされたー。最後まで神出鬼没なプレイングだったなー。
え。なんだかんだで当面の生活費を、ゲームの賞金で稼いだってことか、あの人……。
勝ち逃げだよ、もー
まぁ、それはともかく。そろそろゲームは休憩して、本題に入るぞ。
ぶー。なんのことか、わーかーりーまーせーんー。
一週間前、譚丁サークル宛に郵送されてきた針入り水晶。送り主が分からなくて不気味なんだけど、針の構造が八重さんの水晶と似てて気になるから、お前に転送したわけで。
どうだろうか、何か分かっただろうか?
これねー。暗号だよー、宇宙パズルだよー、私たちへの挑戦状だよー。
やっぱり送り主、繭棲先輩なのかなぁ。ナタリア教授の研究室に忍びこんでから、また行方不明になっちゃったし、いったい何をしたいんだろうか、先輩。
……それで、中身は?
むーりー
……お、もしかして解けなかった?
ぎぶあっぷー
そうか、お前でも解けない問題あるんだなぁ。
私を何だと思ってるのさー
そりゃあ、……妹?
だいせーかいー。訊けば何でも調べてくれる音声ソフトくらいに思われていたら、どーしよーかとー。
ぎくり
んでー、宇宙パズルの詳細、聞きたい?
もちろん
まずはねー、溝の凹凸を01の列に変換してじーっと見つめてみたら、よくあるファイル形式でねー、それをパソコンで実行してみたんだけどー。
え、ちょっと待て、今さらっと凄いこと言わなかったか。
んー、CDと同じ原理だよー。ときに凹凸は音になるしー、ときに凹凸は映像になるしー。お兄ぃが教授の実験室でねー、八重さんの幻影を観たみたいにー。
そういえば、お前。小さいころ、じーっとCDの裏側を眺めただけで、その曲の鼻歌を口ずさんでいたような……。
それは普通に無理と思われー。針の溝もねー、この病室に転がってたレーザー照射しましたしおすしー。
あれ、記憶違いか
んあー、私ね、そーゆーパターン認識しか能がないからねー。そんなこともできない妹なんてー、わりと生きてる価値ないよねー。
そんなことはないと思うぞ、兄は、うん
えー、たとえばー?
……俺の妹として生きてくれてるところとか。
たはー、とりあえずそう言っておけば許されると思ってるよね、お兄ぃはもー。
で。パソコンで実行したら、どうなったんだ?
ゲームだよー。パズルゲームが始まったんだよー。まず誰もいない星に立っていてねー、望遠鏡を覗くと地球が生まれる瞬間が見えるのー。三千光年先でー、三千年前の地球が誕生する姿がー。
へぇ、それはまた幻想的な
それで勝利条件はー、超高出力のレーザーを打って地球に着弾させることー。
ひでぇ。生まれたばかりの地球になんてことしやがる。
ううんー。滅ぼさなきゃいけないのは、人類が栄華を極めている今の地球なんだよー。
ん?
んんん
そしてレーザーを打ち出す星にはねー、数日すると隕石が降ってきて、さくっと滅んじゃうのー。
えー、あー、それがパズルなのか?
なのだよー
ぐぬぬ。……四十六億年ほど宇宙を彷徨ったのちに、地球へ届くようなレーザーを打たなければいけない?
直線距離では三千光年しかないのに?
ごめーとー。そこらのブラックホール使って、レーザーをねじねじ捻じ曲げてねー。
たかが人類を滅ぼすために、えらい壮大なパズルを用意するものだな。
でしょー。お兄ぃ、解いてよー。
お前が解けない軌道計算を、俺がどうにかできるはずがないんだよなぁ……。
やだー
駄々こねられても。謎の水晶については、ざっくり諦めるよ。
やなのー
ううむ、致し方ない。こういう時のために普段から見守り業務に勤しんでるわけだし、ワンチャンあの人に頼んでみるか。
むー、私以外の妹を頼る気だなー
俺の妹は……お前だけだろ。ま、譚丁だからな。使える人脈は使うさ。
もしもし、名塚令です。……生きてますか?
…………
とうとう炭酸中毒で、おっ死にましたか……。南無。
……生きてます。生きております。思いかえせば、なんとも恥の多い生涯を送ってまいりました。
はて、どちら様でしょうか。魔王プリンセスさんのお宅におかけしたのですが……。
にゃあああああああ。あれは一夏の過ちにゃ……。
あーあ。そこでヘタレて、あっさりしずしずに戻っちゃうのが、静矢さんの残念乙女なところだと思いますよ、ホント。
最近なっつん、当たり強いにゃ……
で、また悪い方にトリップしてたんですかね。ゲームで稼いだ金で飲む炭酸はうまいですか?
……
…………
……
あ、いや、言い過ぎました……
……。恥ずかしながら、そろそろ社会の役に立ちたい、です。
え
もうマスターペッパーは呑みません。呑んでは……ならないのです。
それ静矢さん的には、命に関わるやつじゃ……。
いいですか。マスペには、なにか人格を蝕むものが潜んでいます。けれど、ご安心ください。
私は炭酸断ちのプロですから
つまり何度も失敗してるんですね……
……恥を忍んで、お尋ねします。私こと静矢雫が社会に必要とされるためにはどうすればいいでしょうか。
まぁ、普通に就職すればいいのではないでしょうか。
就職と言いますと、面接なるものが必要なのではないでしょうか。
それはそうなのではないでしょうか……
えー、あー、こほん。それでは面接を始めます。静矢さん、貴方の弱みと強みを教えてください。
はい、私の弱みは自他共に認めるダメ人間であるこです。引きこもりで、コミュニケーション能力に難があり、うまく自分の気持ちを表現することができません。
おお、完璧な自己分析……
強みは……ゲーム全般を少々。デジタル、アナログ、問いません。
それはもう普通にプロゲーマーになればいいのでは。
琴線にふれるゲームを、金銭のための仕事で汚すわけにはまいりません。
β5との対局に、この秋のオンライン大会。もう何度も汚してきたのでは……。
ぴゃっ
まぁ社会の役に立つ前に、まずは誰か一人の役に立ってみませんか。
…………?
来週、俺、二十歳になるんですよ
……にゃあああああ、自慢か、若さ自慢にゃのかあああ。
え
きしゃーーー
あの、その反応はどう
きしゃーーーっ
えーと、あー、ちょっとしたパズルゲームのデータ送るんで、気が向いたら解いてみてください。では。
あああああ、ミスった。俺はただ、二十歳になってアルコール解禁されるから、一緒にお酒呑んでみたかっただけなのに。
他に誘える相手いないし、井内さんも行方不明だし、もう一人で飲み屋に繰りだしてみるか……。
あー、この龍ころしってやつ一杯ください。
飲み方はどうなさいますか
……?
はい、できるだけ美味しくいただきます
……?
ロックでよろしいでしょうか
えーと、このイカれた時代に中指を立てながら一気呑みしてやるぜ……!
くすっ。それではロックで。ゆっくり味わって呑んでくださいね。
……うーん、やはり酒の作法も知らずに、一人で飲み屋に来るべきではなかったか……。
おい、細身の兄ちゃんよお。なんだ、酒を呑むのは初めてか?
……はぁ。そうですね。
あー、姉ちゃん姉ちゃん。そのにごり酒な。オレから兄ちゃんに注いでやっから、こっちによこしな。
?
ちっ、龍ころしか。おう、兄ちゃん。どうして、初めての酒にこいつを選んだ。
曰くありそうな名前だったので
ふん、そりゃあンだろ。伊宮に祀られた龍に纏わる話がな。
伊宮の神は、風蛇様と聞きましたが……
そりゃ同じだかンな。蛇も、龍も、この街にとぐろを巻く荒神のことよ。
へぇ、そうなんですか。じゃあ、龍ころしって名は、荒神を酔わせて退治した伝承にちなんでとか、そういう。
あ!?
兄ちゃんもそのクチか。たしかに蔵元はそう喧伝しているらしいがな。伊宮に伝わる伝承が、そんな安い話なわけないだろうが。
まったく五十年ぶりに帰郷してみれば、誰も彼も知らないときた。
龍ころしは、元々、龍こいし、と言ってな。龍に嫁ぐ巫女のために醸造された神酒のことよ。
それは、また。ロマンチックそうな話ですね。
その伝承も欺瞞だがな。おしなべて世はそういうクソなことばかりよ。たいがい伝統ってのは良いように捩じ曲げられるもんだ。
俺は船で世界中を回ってきたからよ、嫌というほど目にしてきたぜ。……だから、こんな酒に若いもんが酔っちゃいけねぇ。
老い先短いものが呑むと決まっている
あ、おい。爺さん!
かーっ。兄ちゃん、なんでも初体験は大事にするもんだ。そうか、そんなに酒が呑みたいか。
オレなんざガキの頃、酒蔵に忍びこもうとしては、木刀で殴られたもンだ。それで学校のアルコールランプをよ。
いや、爺さん。昔話はいいから、初めてのバイト代で買った人の酒を勝手に。
なンだ、懐が寒いのか、兄ちゃん
手の掛かる妹がいるんで
は、そりゃ悪いことしたな。侘びに、本物の神酒を呑ませてやらあ。五十年物の一点物よ。
一点物……?
しかも、そいつは鍾乳洞の奥深くに隠されていて、蓬莱の霊験あらたか、呑めば不死になると聞けば、どうだ。
不死……!
いい顔すンじゃねえか。決まりだな兄ちゃん。老いぼれ最後の宝探しに付き合ってもらおう。
――そんなわけで、血気盛んそうな爺さんと、伊宮神社の裏にある鍾乳洞へ宝探しに行くことになったぞい。
どうせ酔っ払いの戯言だぞ♡
……また不法侵入……
いや、そうは言うけどさ。宝探しと聞いて乗らなかったら、譚丁の名折れだからなぁ。
その鍾乳洞、開発のため取り壊すって話♡
……諸行無常……
そうなのか。じゃあ、なおのこと、取り壊される前に宝探し行かないとなぁ。
つか、そうやって左右同時に違うこと喋られると、すっげー聞きとりにくいんだけど、電話ってこういうのものなんだっけ。
っていうか、どうやって発声してるんだ、それ……。
ちなみに私が主音声♡
……副音声……
そうかー、俺も二十歳になったわけだし。お茶目な妹に、ステレオ音声でツッコミ入れるくらいのことはできないとなー。
……って、できるか!
そうそう、ハッピーバースデー♡
……はぴば……
お、おう。ありがとうな。
この善き日のために、他の私からもお祝いメッセージを預かってるぞ♡
……録音同時再生……
いや、お兄ちゃん、もう充分に嬉しいっていうか。なんか嫌な予感するから、そろそろ電話切っていいだろうか。
大人になった俺は忙しいんだ、うん
祝辞。お兄ぃの今後ますますのご活躍を期待しております。兄妹愛についても。
めでたいであります。誕生日というものは、とくにかくめでたいであります。留保なきお兄ぃの肯定であります!
ハッピーバースデートゥーお兄ぃ、でしょう。ハッピーバースデートゥーお兄ぃ、でしょう♪
ふ、ふん。本当は、この私だけがお兄ぃにおめでとうを言いたかっただなんて、そんな独占欲めいた感情あるはずもないんだからね!
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。うっるせえええええええ。
はい、もしもし。名塚です。
厳哲だ。悪いな、兄ちゃん。腰をいわしちまった。
爺さん……
ってことで、お楽しみの秘酒捜索隊は延期だ。抜け駆けすンじゃねぇぞ。
や、一人じゃ行きませんよ。鍾乳洞の入り口は見つけたけど、重機ごろごろ転がってて、一般人が立ち入っちゃいけない雰囲気漂ってたし。
あー、皐月建設の奴ら、気が早ぇンだよ。こんな放置しくさった山に大金積んでくれるのはありがたいけどよ。
まだ土地の権利はオレにあっから、そこらの土方どもに絡まれても気後れする必要はないぞ。
何かあったらオレの名前出しておけ
それが今日は工事やってないみたいで。だいぶ雨足が強くなってきて、石階段を降りるのも危なそうな感じになってきたので、神社の軒下借りて雨宿りしてます。
おう。石階段から転げおちて、寒空の下で死なれでもしたら寝覚めが悪ぃかンな。
神前のお供え物、適当に食っておけ……あっ腰痛ぇな、こん畜生。
爺さん……。洞内の道さえ教えてもらえれば、俺一人で行くよ。いくら気が若くたって。
放っとけ。いいか、オレが船乗りとして、どれだけの荒海を渡ってきたと思ってンだ。
ソマリアの海賊が襲ってきた時だってなあ。
あー、武勇伝の類は酒のつまみでお願いしたく。
おい、起きろ。痴れ者。
…………あれ、しまった、俺、軒下で寝て。……あ、はい?
汝、皐月の者か
貴方は……?
誰何する前に、告げる名があろうよ
……名塚令。譚丁です。
つまらぬ。我を見ても畏れおののかぬか。
この神社ときどき、自称巫女さんがいたり、自称魔法少女がいたりするんですよ。
だから、蛇の面を被った神主っぽい人が出てきても、そうそう驚いたりはしません。
はっ、我の姿が人に見えるか。探偵よ。
…………
ま、五十年ほど眠っていたからのう。我を祀る社に、狐の類が棲んでしまったとしても、致し方あるまい。
して、巫女やら魔法少女やらに化かされた探偵風情が何用よ。返答次第では。
……神酒を盗みにまいりました
はん、酒呑みか。よかろう、よかろう、蓬莱の古びた酒なんざくれてやるわ。探しだせるものならな。
それはどうも。ずいぶんと寛大ですね。
では、汝は皐月と無関係なのだな。ここへ発掘しに来たわけではない、と。
発掘?
よい。心当たりがないのであれば、それでよい。しかし、酒の香はどこから嗅ぎつけた。
今の世に、アレの存在を知る者がいるとはな。
知り合いの、お爺さんから
そやつの名は?
……草璃厳哲。この伊宮神社含めた、草璃山の地主だそうで。
厳哲……だと
ああ、大丈夫ですよ。地主って言っても、長らく親戚任せで放置してきたらしいですし、自称風蛇様が不法侵入したところで、どうってことは。
汝。顔色一つ変えず我を自称呼ばわりとは、ずいぶんと罰当たりなことを述べるではないか。
むむむ。最近ちょっと色々あって、誰彼構わず不敵になってるきらいがあるなとは、自分でも……。
今時の若者よの。では、一つ問おうか。……神の存在意義とは何か。
えー。自らのアイデンティティを人に委ねてくる神様とかどうなんですかね……。
むしろ神とは概念からして、か弱きものであろうよ。その上で、人の世に利や害を為す気紛れがゆえに。
……して、汝の答は
そう言われても、実のところ俺、風蛇様についてはよく知らないんですよね。
ほむ。それでは一つ、伊宮の伝承について聞かせてしんぜようではないか。そも、元来は蛇ではなく、龍と心せよ。
あー、やっぱり龍が正しいんですかね。……八重さん……。
むかしむかし伊宮の街に、天から堕ちた半龍がおったそうな。龍に課せられた命は、星の記憶を蒐集すること。
しかし、空の穢れに身を裂かれた龍は、傷ついた半身を小さな山で安め。気付けば、鎖で縛りつけられていた。
なるほど……。それで、草璃山というわけですか。
龍は星を巡ることを諦め、伊宮の記憶を刻む命を受けいれる代わりに、こう啼いた。
――伴侶を捧げよ。我と共に、悠久の孤独を生きる伴侶を捧げよ、と
人々は悩みました。いくら山に縛り祀ったとはいえ、荒神である龍がその気になれば伊宮を滅ぼすなど容易いこと。
しかし、永遠を手に入れた人間など、どこにもいません。そこで神主が一計を案じて、娘の巫女ににごり酒を持たせ、龍に奉じました。
その酒が、龍こいし、ですか
伊宮に根を張るため、その身を結晶化させつつある龍を前にして、巫女は言いました。
――わたくしは貴方様と近しい者。卑しくも人の血に、穢れなき蛇の血が混じっております。
だから十年に一度、身を隠すことをお許しくださいませ。旧き皮を脱ぎすて、ふたたび貴方様と悠久を過ごすための儀式が必要なのでございます。
その間の孤独はどうか、この酒でお慰めください。
けっこう本格的な伝承なんですね。酒は、巫女の入れ替わりを誤魔化すためのアイテムというわけですか。
さて、ふたたび問おうか。神とは何か。なぜ人は神を求める?
…………
答えよ
……一般的に、そのような地主神は、地域にしがらむ因縁を物語るための依代なのだと思います。
おそらく伊宮には、そこの鍾乳洞に人を立ち入らせたくない因縁があったのでしょう。
だから、誰かがそういう伝承を語りはじめた。
探偵らしい、小賢しい捉え方よな
民俗学をやっていた母の受け売りです
ほむ。では、忘れられた伝承がどうなるかについては教わったか。
え……?
不死の巫女が死んでしまった今、我は探しているのだ。報われなかった物語の終わらせ方を。
――その自称神様、たぶん草璃山開発に反対な運動の人なの。お兄ぃが下手に首を突っこむと、さいあく死に至るの。
うぇ、土地絡みの揉め事とか巻きこまれるのは、ちょっと勘弁したいなぁ。爺さん、まさか俺を盾にしようとしてるんじゃあるまいな。
ううん、草璃さんと皐月建設の間には、何の諍いの形跡も見られないの。反対運動をしているのも、その人だけみたいなの。放っておけば、さいあく死に至るの。
あの人、龍の伝承ゆかりの地を守りたいとか、そんな感じなのかなぁ。狩衣に蛇面、背は低くて、風邪引いた感じの嗄れ声してたけど、どこの誰だか分かるだろうか。
目撃情報なら、鍾乳洞入り口と神社、それから山頂に近い湖でもあったみたいなの。でも現場の作業員には相手されてなくって、たまに亡霊と見間違えられるくらい存在感ないって、ソーシャルサイトに書きこみがあったの。これくらいの情報だけだと、正体を突きとめる前に、さいあく死に至るの。
さすがに、お前でも特定までは無理か。……そういえば、なんで鍾乳洞取り壊すんだろう。
あんな山の中腹を開発したところで
それ気になって内部資料覗いてみたんだけど、皐月建設の情報セキュリティが単なる土建屋とは思えないほど堅くて、ビビったなの。むりむり突破すると、さいあく死に至るの。
ふぅん
でも搬入している重機からして、ナニカを発掘しようとしている感じなの。コトの次第では、さいあく死に至るの。
発掘なぁ。何だろうか。まさか本当に、不死の酒、じゃないよなぁ……。
不死は困るの。そんなの呑んだら、お兄ぃは私のいない世界でも、さいあく死に至らないの。
まぁそうなるな。……っていうか、その口調は何なのさ。
たまには決め台詞をキメてみたかっただけなの。満足したので、さいあく死に至るの。
……。お前の口調、意外とネタ尽きないよな。妹ガチャ、コンプできない説。
ガチャが底を打つと、さいあく死に至るの。
そうか。過酷な人生だな。
生きとし生けるもの隙あらば、さいあく死に至るの。
よお、昨日は悪かったな、兄ちゃん。一つツケってことで頼むわ。
爺さん、昨日の今日で大丈夫なのか……
あン?
ま、この大雨の中、石階段しゃきしゃき昇ってきたんだから大丈夫……か。
それはそうと、見てのとおり。来てみたら、鍾乳洞の入り口を塞ぐように縄が張ってあって、ジグザクの紙まで垂らしてあってさ。
昨日はなかったのに、明らかに結界というか、立ち入り禁止になってるみたいなんで、すごく残念だけど、今日は雨天中止ってことに。
あー、ホント残念だなぁ。お酒呑みたかったなぁ。
注連縄に、紙垂か。しゃらくせえ、ンなもん、跨いで罷りとおりゃあいい。誰が張ったか知らねえが、地主の俺が許すンだ、文句はないだろうが。
いやいやいや、血気盛んすぎるだろ爺さん。見るからに雨水流れこんでいて、この状況で鍾乳洞に入るのは、いくらなんでも。
このくらいの水量なら、龍が呑むだろ
え……?
腰が引けたンなら、そこの社で神頼みでもしてな。老い先短い俺が、ちょっくら約束の酒取ってくっからよお。
あーーー、行くよ、行きます。民俗学のレポート、これで書くかもなので。
そうか、だったらオレのリュック頼むわ
はいはい。そのくらい若者が背負いますよ、っと。
な、龍の啼き声が聞こえンだろ。もうすぐ龍の口だ。
これ、風の唸る音ですよね。鍾乳洞って、こんな風が吹くものでしたっけ……。しかも奥の方から。
鼻息荒い龍が、腹空かせてンだろう。……おい、この先の百畳敷、そこそこ段差あるから、よくよくヘッドライトで照らしながら進めよ。
雨水に足取られて転げたところで、置いてくぞ。
はいはい。……このヘッドライト、作業テントから拝借してきただけあって、わりと先まで見えるなぁ。
ガスも出ねえしな
洞内でガスとか怖いなぁ……
おうよ。昔はな。ランタン一本で忍びこんだもンだ。
…………
……
…………
着いたぞ。龍の口だ。リュックよこしな。
ほい。あっ、龍の口って、そういう名の穴ってことか。うお、底が見えない。風が吹き上げて……。
そらよ、っと!
え、あ、おいおい、爺さん
なンだ
いや、何だって、いやいや。俺が担いできたリュック、なんで底なし穴に投げ棄ててんの……。
察し悪いな。龍に食わせたンだよ。
…………
そんな顔すンなや
……爺さんは本当に、この鍾乳洞に龍がいると。
ちと、からかいすぎたかね。……龍なんざ、現実にいてたまるかよ。この穴はな、かつて巫女への差し入れに使われたものだ。
ここから、さっきの百畳敷に戻って、しばらく適当なルートで地下に降りていく。
その間、ちょっとした昔話をしてやろう。とあるバカ野郎の話だ。
へえ、爺さんの昔話?
……
…………
五十年前の話だ。この草璃山には、天から堕ちた半龍の伝承があってな。それが愚かにも、ぎりぎり信じられていた。
その伝承は、聞きました。酒と、それから定期的に巫女を捧げていた、と。
あン、飲み屋でそこまで話したかね。どうも酒入れると口軽くなっていけねえな。
まぁいい。それでなんだ、バカ野郎の話だ。……男には、幼馴染みがいた。ほとんど許嫁みたいなもンだ。
だいぶ病弱だったが、手先が器用で、白衣に緋袴がよく似合う娘だった。名を、伊宮末利と言う。
ひゅー。爺さん、幼馴染みとかやるなぁ。
……兄ちゃん。素面で、そういう小っ恥ずかしい合いの手は止めろ。昔話は聞き流していいから、そこらの鍾乳石でもよく見ておけ。
こんなンでも、もう二度と見られない景色だからな。
そもそも、爺さんはどうして今になって、この山を売……。
うわ、天井のツララみたいな鍾乳石、ちょっと鋭すぎるのでは。神様の殺意を感じる。
それで、だ。……男は成人の儀を迎え、そして嫁入り前の末利に白羽の矢が立った。
伊宮の総意として、末利は龍に嫁ぐことになった。
石筍もエグいの多いなぁ……
当然、男は反対した。駆け落ちも辞さなかった。だが、先代の巫女から伝承を継いだ末利の意志は硬く。
それを止めることが、どうしても男にはできなかった。
流れでた石灰水が、滝のようになっている……。
末利は身を清め、酒を抱えて山に入り。男は無力な自らを恥じて、貨物船に潜りこみ見知らぬ国へ逃げた。
おお、滝の先に難破船みたいな鍾乳石があった……。
五十年間。船乗りとなった男の手には、一通の手紙があった。別れの夜に手渡され、ずっと封を切ることができなかった手紙だ。
…………
……
……なんて書いてあったんだ
さあな
爺さん……!
五十年経っても、鍾乳洞ってのはろくに成長しねえもンだな。だから、人の手が加わったところはすぐ分かる。
皐月建設の奴らには分からねえだろうがな。
おい、兄ちゃん。この大岩の隙間に耳を当ててみろ。若い耳なら拾える音もあるだろう。
え、音って。……あれ、なんか、曲が聞こえる。クラシック?
鍾乳洞の奥で、なにこれ怖い
畜生、やはりここか。ガキの頃、忍びこんだ時によ。首突っこんだはいいが、コウモリに脅かされて逃げ帰ったバカ野郎がオレでな。
後ろに下がってろよ。念のため10メートルくらい。
ん、いったい何をするつもりで
見て分からンか
いや、ぜんぜん話が見えないんだけど
ハッパ仕掛けるンだよ。この大岩どかさなきゃ、さっき放りこんだリュック回収できないだろうが。
……発破!?
いやいやいや、死ぬ気かよ爺さん
そんなヘマするか。現場からヘッドライトと一緒にくすねてきた爆薬だ、品質に問題はない。
そういう問題じゃなくてさ
爆薬の扱いには慣れてるから心配すンな。ただでさえ残り少ない寿命を、ここで捨てるような真似なんざしねえよ。
おう、ソマリアの海賊船を爆破した話、ここでしてやってもいいんだぜ。
えー、またまた、えええええ
それでな、末利の手紙に書いてあった文面だが。
…………
『わたくしが、最後の巫女を務めます。やがて龍神様の伝承を終わらせてなお、この身に授かりし命残されていたならば、貴方の元に帰ります』だとさ。
街に忘れさられた伝承の鍾乳洞。
その天然の迷路を螺旋状に降りた底にある大岩を爆破して。
粉塵ともに滲みだす空気は、暗く、冷たく。
爆破した大穴を潜りぬけた先は、幾つかの小部屋が繋がったような天然の広間だった。
何の気もなしに右の小部屋を覗くと、そこには見覚えのあるリュックサックが転がっていた。その内から、冥界へ降った竪琴のような音が、安っぽく響いている。天を見上げれば、暗闇は真っ直ぐ吹き抜けていて、龍の口なる穴の直下にいることが知れた。
リュックサックを拾いあげ、その中に詰められたタオルを掻き分けて、目覚まし時計を止める。この空間を見つけるための音源だったのかと理解し、ふと左の小部屋に目をやると、水溜まりから酒瓶を拾いあげる爺様がそこにいた。瓶は灰白色で、ひどく分厚く、さながら鍾乳石のようだった。
「というか、鍾乳石そのものだろ。爺さん。いくら酒が呑みたいからって……」
だが、爺様は往生際が悪かった。
使い古しのウェストポーチからハンマーを取りだして、躊躇なく瓶口のあたりに叩き落とす。
一度、二度、三度と罅は広がって。パキンと割れた鍾乳石の中から、本物のガラスでできた酒瓶が顔を覗かせた。
「ほらよ、約束の酒だ。今日はここで呑みあかそうや」
差しだされたお猪口に、ぽつり乳白色の雫が滴りおちる。
なるほど、かくも石灰分の濃い地下水に浸けられていたならば、酒瓶も鍾乳石に覆われてしまうことだろう。
そのお猪口を受けとるべきか逡巡していると、爺様は注いだにごり酒を自ら呑みほし、やおら地面に置いて、また新しいお猪口を差しだした。そんな誘いを無碍にできるはずもなく、受けとったお猪口をゆっくりと傾けていく。
そこから、若干の記憶がない。
「――いやいやいや爺さんホント大学ってそんな世界の真理に触れるようなところじゃないって、そりゃシラバスを見たときはここに人類の叡智が詰まっている気がしたけどさぁ」「なんというか大学のキャンパスって実社会のダイナミズムから隔離されている気がしてならなくって」「や、真理ちゃんじゃなくて、触れるってそういう意味じゃなくて、分かった分かった爺さんの末利さんは良い嫁さんになったと思うよホントさー」
気付けば、ぐんにゃり冷えきった暗闇と、それから時の流れが歪んでいる。
さっきから爺様は、幼馴染みの昔話ばかりしている。そんな止め処ない惚気にあてられて、ふらつく思考の波はとりとめもなく。そこら霧のように舞う水晶の微粒子が煌めいて、甘く焦げた香りは多幸感を付く夢のように。
ああ、これが酔うということなのか、と。もう何が何だかどうでもいい気がして。ずっと誤魔化しつづけている、病室に引きこもりつづける妹のことも、その妹に確かめられずにいる亡くなったもう一人の妹のことも、どうでもいい気がしてしまって。なぜ、そんなことを今にありて思うのか、それすらも揺らぐ波にさらわれて。
「兄ちゃん! いいか、男にゃ男になるべき時がある。体を抱いたところで、その決意を抱けなかったから、オレはずっと独り身で一人海の上を……」
酔っ払いが叫ぶ積年の後悔は、当て所なく暗闇に溶かされて。
そんなふうに初めての酒盛りは過ぎていく。
はずだった。
「…………?」
爆破した大穴から向かって正面。
そこにある岩戸が、いつの間にか開いていた。
おもむろにヘッドライトを向けて、はたして照らされたものは、膝を付いて祈りを捧げる人の姿。
あまりにも純潔な佇まいから、その人こそが最後の巫女なのだと知れた。
五十年。滴りおちる地下水に決意を穿たれることなく。人知れず伝承の守り手となりて。
たとえ、その身が石像になろうとも。
「……末利……!」
ふらふらと駆けよる爺様に一瞥もくれない祈りの先には、色とりどりの大水晶が聳えていて。
その傍らで面を被った神様が立ちつくしていた。
ひどく物憂げに。
立ち去るがよい。……その巫女は、お前が触れていい人ではない。厳哲……!
どうして、ここに貴方が
はん、聞こえておらぬか。厳哲。今さら巫女に何を詫びて……。
……あの
どうして、と問うたか。探偵よ、それは我の台詞だ。どうやって、ここ龍の寝所に入った。
隠し通路を知る者はもう、……封じ岩を爆破したか。厳哲に何を吹き込まれたかは知らないが、随分と野蛮なことをしてくれたものだ。
……その大きな虹に輝く水晶はいったい、……あぁ、それを隠すための伝承……。
聡いの。これら針入り水晶は、永き宇宙の旅を終えて、ここに降ってきた。水晶の上を見よ。
こちらの吹き抜けは、山頂近くの湖底に繋がっている。かの湖こそは、水晶の隕石が残した爪痕よ。
そして、この水晶は特異なものでな、人の世から隠す必要があった。代々の巫女が、その手に抱えられる分だけ削りとっていたが、それらも散逸してしまった。
だが、今になって、皐月建設が嗅ぎつけおった。
立ち去るがよい。いかに忘れさられた伝承であっても、終わりを看取るものは必要だ。
それに巻きこまれる義理は、汝にはなかろう。
では、貴方には、どんな義理が……
我は草璃に縛られし龍ぞ
それは水晶のことでしょう。その仮面の下の貴方は。
この身、依代のことはどうでもよい。五十年、連れ添った巫女が呼んでいる。逝かねば。
ゆくって、どの意味で。……巫女の石像、あまりにも精緻すぎて、まさか酒瓶みたいに人が中に……。
たわけ。なわけなかろう。その巫女の依代は、石筍を彫ったものだ。さすがに五十年も石灰水に晒されば、ふくよかになろうもので、いくぶんか彫りなおしたがな。
じゃあ末利さんは……
もう立ち去れ。明日には、この場所ごと伝承が終わる。終わらせてみせよう。それが弔いだ。
…………あれ、その手に持っているもの、まさかガスバーナー。
汝、酔っているのか。これはどう見ても発破器であろう。……ぁ、ぃや、その。
発破……爆発……炎……!?
……?
――やめろ、それだけは引いちゃダメだ!
知り合いが放火して捕まって、そういうのはもうダメだから。
おい、錯乱したか。放火など、洞内で燃えるものなどあるものか。
雨音が。嵐が強くなって……!
この情景はもう、誰も見る必要なんて
嵐?
たしかに外は嵐のはずだが、これは龍の口から落ちる雫の音であって、雨音では。
うあ。天が、割れる音が。
汝、いいかげんに。……え、やだ、もう湖底が。あたし、まだ、発破器、押してない。
やだ……
おい、しっかりしろ。兄ちゃん。そんなところ突っ立ってる場合じゃねえぞ!
炎が。嵐が。炎が。灼け焦げた灰の世界が……!
酔っぱらってンのか。目を醒ませ。なあ、おい。嘘みたいな話だが、あのドでかい水晶の上、暴風雨で溢れた湖の底が抜けかけてンだよ!
……や、大丈夫。それは大丈夫なんだ、爺さん。前にもこういう目に遭ったから、俺は分かるんだ。
これはプラネタリウムみたいな幻影で、だから下手に逃げない方が安全なんだ。ほら、そこの水晶が、女の子を投影して。
いいか!
船が沈むって時に、ラリってる奴は真っ先に見捨てられるものだが、酒呑ませたのはオレだからな。
みすみす死なせるわけにはいかねえンだよ。耳かっぽじってよく聞け。これは紛れもなく現実だ。
このままだと、数分後には溺死すンぞ!
炎で……溺死?
だから炎じゃなくてよお、もう足元まで水がオレたちを殺しにかかってるって言ってンだろうが!
……え
誰だか知らねえが、この気を失っている仮面の嬢ちゃんは、オレが背負う。お前は一歩一歩踏みしめて着いてこい。
けっして足を取られるなよ
…………ダメだ。死ぬのはダメだ。こんなところで死んだら、誰があのどうしようもない妹の面倒を。
爺さん、おい、どっち行ってるんだよ。早く、来た道を引き返して、走って、走って、とにかく地上まで駆けあがらないと。
莫迦か。それはもう間に合わねえ。決壊した濁流に呑まれたが最期、ケツに鍾乳石を突きさす死に様なんざ、死んでもオレは御免だね。
じゃあ、どうすれば!
こっちの吹き抜けに来い。押し上がる水流に任せて、龍の口から吐きだされるのに賭けンぞ。
そんな無茶な……
なに、こういうこともあってこその人生だ。そうだろう、おい。あの時だって、そうだ。
海賊に散弾銃を突きつけられたオレは――。
おう、生きてンか
…………なん……とか……
しばらく、そこの草っぱらで倒れてろ。さいわい嵐も去った。……兄ちゃん。こんなことに巻きこんで悪かったな。
……いや……爺さん……のせいじゃ……
どうだかな。これが三途の川で見てるオレの夢じゃなければいいンだが。そうだろう、そこのクソ神様よお。
…………あたしは、一人で看取るつもりで。
おう、テメエも生きてンか。何はともあれ命あっての物種だ。
しっかしよお、そうじゃねえだろ。そういうのじゃねえだろうがよ。なあ、ここで会ったが何とやらだ。
厳哲……貴方は……
そうだよ。オレが草璃厳哲だ。そしてテメエが、末利とよく似た背格好で、その蛇面を被ってオレの前に現われた以上は。
あの世に持っていくはずだった未練を、ここで晴らさせてもらう。そのために助けたンだろうが。
…………
押し黙りか。オレはな、あの水晶がどういうものであろうと、テメエがどこの誰であろうと、どういった理由でハッパを湖底に仕掛けていたかも、そんなことはどうだっていいンだよ。
ただ一つ、末利の石像をぶっ壊そうとしていたことに腹を立てていてな。
……汝に、何が分かろうものか
あァ?
分かるさ。あいつは病弱な分、優しかったからな。務めを果たせぬ代わりに、石像を彫って最後の巫女としたンだろう。
末利は、ついぞ我に嫁ぐことはなく。その写し身を石筍に依代として去りおったわ。
なに……?
しかして五十年。伝承も忘れさられていく胡乱な時を共にするには、充分な魂を宿しておったのでな。
アレが、汝が許しを請うていた石像こそが、我が最後の伴侶よ。永き旅の果てに辺境の星で記憶の結晶と化した我が、命潰えゆく道連れとすることに何の文句があろうか。
だったら、石像を彫って。末利は、それから……。
……。。。末利お婆様は!
ずっと待って、ずっとずっと待ちつづけて。
ンだ…と……
なぜ帰ってこなかったんですか!
この五十年に何があったか知りませんが、知りたくもありませんが、ただの一度、故郷に帰ってくることなど簡単なことだったでしょうに。
お婆様は未練に囚われず、新たな人生を歩めたでしょうに。
おい、まさか。末利は今も…………。
お婆様の最期は!
それはそれは立派なものでしたよ。身の回りの整理も一人で終わらせ、病院でひっそりと。
昨年の秋のことです
そうか……。天寿を全うできたのか……。
伝承は。くっだらない龍の伝承なんてものは、こうやって仮面を被って儀式めいたことをすれば、終わりを宣言することができるけれど。
刻まれた巫女たちの想いは、果たせなかった約束の物語は、もう二度と終わる機会なんて巡ってはこなくて。
お婆様がどんな想いで待ちつづけて、再会の言葉を用意してきたか、その本当の気持ちにはずっと触れられないままで。
…………
気高く、何の遺恨も未練も物品も遺さず、この世を去っていったから。もう世間からは忘れさられつつあって、だったら、お婆様の人生はいったい何のために。
その責任はいったい誰がっ
すまなかった。それは伊宮から逃げつづけたオレの責任だ。もし許されるなら、墓参りを……。
……だが、オレは嬉しい。嬉しいんだ。結局のところ、末利は。オレよりもずっとマシな男を見つけて、子を成して、孫に看取られたっていうことなンだろ。
それは何にも勝るものを遺せたってことだろうがよ。
貴方はもう耄碌してしまったのですか。一夜の逢瀬も忘れてしまったのですか。
あたしは伊宮茉莉。末利お婆様の、そして、貴方の孫娘です。
い、良いお知らせと、わ、悪いお知らせ、どっちから聞きたい、たい?
人間いつ死地に立たされるか分からないからな、良い知らせから聞きたいぞい。
や、やっぱり鍾乳洞で何かひどい目にあったんじゃ、私の妹電波が届かなかったから、から。
ないない、大したことはなかったよ。そんなまさか濁流に呑まれて崩れおちる鍾乳洞を命からがら、迫りくる死が地上の光にフェードアウトしていくなんて、映画みたいなことがそうそうあってたまるかよ、ははは。
そ、それはいくらんでも映画の見すぎ、すぎ。
だっよなぁ。酔っ払いすぎて、どこまで幻覚だったか記憶が曖昧だし。それで良い知らせって?
れ、例の水晶だけど、もっとよく調べてみたら量子ビットっぽい構造が隠れてるっていうか、どうも量子アニーリング用に造られたとしか思えないみたいな、いな。
漁師兄リング?
な、なにそれ、ちょっとワイルドでいいかも、かも。ど、どうせ妹の戯言だから無視してくれていいの、いの。べ、別に、半龍たる水晶の隕石、その正体が地球外生命体だんて、そんなこと微塵も思ってないの、いの。
地球外生命体?
まぁ、お前も大概だよなぁ。や、楽しそうなら、別にいいんだ。
お、お兄ぃの方は、なにか良い知らせないの、いの?
そういえば、草璃の爺さんがぎっくり腰でとうとう入院しちまったから、見舞いに行ってきたんだけどさ。
なんだかんだで孫娘との関係は良好って感じで安心したよ。
お互い頻繁に末利さんの影を重ねながらも、爺さんが逃げつづけた五十年を急速に埋めていってるみたいで。
相変わらず茉莉さん、素顔見せてくれないけどなぁ。それで悪い方は?
そ、そんなわけもあるのかな、かな。草璃山の大水晶は結局、皐月建設がせっせと運びだして、コンテナ船に詰めこんだわけなんだけど、けど。
はぁ、コンテナ船ねぇ。輸出でもするのか……?
そ、それがソマリア付近で沈没しちゃったってニュースがね、がね。
……え?
そ、それも残念なんだけど、どうもその船にこっそり乗りこんでた人が知ってる名でね、でね。つ、つまり死んじゃったみたいなの、なの。
おい、何の話を
な、泣かないでね、でね。そ、その人の名は、繭棲乃音って、って。
はい、名塚です
もしもし、静矢です。悪いお知らせと、良いお知らせがございます。
……悪い知らせからお願いします
いただいたパズルが解けました。解けてしまいました。
おおっ、さすが。ぶっちゃけアレ、ぜったい解けないように作られてる類のパズルかと思ってましたよ。
この小宇宙を創りしモノの意図さえ読めれば容易いものです。
厨二感あるセリフですね。さすが。
ぴゃっ
で、それがどうして悪い知らせなんで?
寝食忘れて挑めるものを、また喪ってしまいました。この先、静矢雫はどのような世界で生きていけば、よろしいのでしょうか。
なんだかお腹が空いて、とてもお腹が空いてきました……。
ポンコツっすなぁ。明日、差し入れに行くんで、それまでは生きのびてください。
だいぶ冷えこんできましたし、鍋にしましょう。だから少し聞いてほしいことが。
……いや、やっぱり今話します。話させてください。静矢さん、今なおβ5とは対局したいですか?
愚問です
ですよね。……いや実は、大学の先輩に不幸がありまして。かなり傍迷惑な人で、何考えてるかよく分からなくて、いったい俺に何をふっかけようとしていたのか。
べつに泣いてしまうほど、親しみがあったわけじゃないんです。もっと近しい人を亡くした経験もあります。
それでも、うまく割りきれなくて、先輩の人生という物語は……。
……すこし、いえ、だいぶ性根の悪い話をします。これまで静矢雫が関わってきた人は、ほとんど亡くなってしまいました。
ぇ
もちろん比喩表現です。でも、本心です。相手が誰であろうと、魂の底に触れてしまうと、それで私の中ではお仕舞いになってしまうのです。
学校でも、碁会所でも、それからゲームでも。最近戦った相手だと、虹色のゼロはちょっと底が見えない気もしましたが、実際のところ浅い底がやたらと広いだけでした。
もう戦うことはないでしょう
それは何というか、すごく天才がゆえの孤独っぽいですね……。
いいえ、ただの傲慢です。静矢雫は焼き畑のように世界を消費した気になっている、ただの不適合者です。
焼き畑。灰の世界……。
逆に言いますなら。亡くなってしまっても、潰えぬ魂というものもあるはずです。
負った亡霊は振りはらえず、いずれ息づいていくものもありましょう。
……ありがとうございます。その意味は、ゆっくり消化してみます。
そうですね、私も
ところで。良い知らせの方は?
………………にゃ
にゃ?
なっつんから託されたパズルが解けたにゃあああああ。
えー
世には、ミクロコスモスっていう千手越えの詰め将棋があるにゃ。そして、このパズルの宇宙は、ミクロコスモスの趣向を再現できるように、物理法則から創りこまれてるてるにゃ。
光子一つ当てるだけで崩壊する惑星がワームホールを通じてみゃ、遠い場所で新しい星に生まれかわることでミクロコスモスの駒位置変換を再現してきた様は、さすがのしずしずもロマンを感じざるをえなかったにゃ。
あーーー、結局、酔っ払いっすか。また炭酸断ち失敗したんですね……。
呑んでにゃい。呑んでにゃいにゃあ。挑みがいのあるパズルを前にして、脳内麻薬どぱどぱ分泌されるのは仕方のないことにゃっはっはっは。
それで、それで、結論。パズル解いたら、何か分かりました?
レーザーが、哀れな地球に命中してお陀仏にゃ。
そういや、そういうパズルでしたね……
ただ、命中地点が、どうも伊宮の隣町っぽいにゃん。なっつんに連れられた遊園地あたりで、作為を感じざるをえにゃ……。
あ、あっあっ、もうアドレナリン切れ……。
えーと、その命中地点。正確にはどこですか?
……風里のカラクリ屋敷。そういえば昔そこで、霊的なナニカと対局した気がいたします。
(了)
『風里殺霊事件』